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    3/6/2006

    為朝伝説

    「平家物語」のヒーローは当然義経でしょう。
    宇治・瀬田の戦いから始まって,鵯越の逆落とし,屋島の奇襲,そして壇ノ浦の海戦と,鮮やかな武将ぶりは古来多くの人々に語り継がれてきました。
    では,時代的にそれより少し古い時代を扱った(成立時期は同じ鎌倉期でしょうが,時代的に被るところもあります)「平治物語」は誰がヒーローでしょう。

    これは,源義朝の長男である鎌倉悪源太義平と言っても良いと思います(頼朝は義朝の長男ではなく三男)。
    特に,御所での戦いで清盛長男の重盛との一騎打ち(と言うより殆ど追い回していた)や,敗戦後京洛に潜んで清盛父子を執念深く狙って一度は見事に行方をくらましたり,最後は怨霊として雷になり,自分を斬った平氏の郎党を打ち殺したり,と凄まじい活躍ぶりを見せます。

    ではさらに3年遡って,保元の戦いを描いた「保元物語」のヒーローは・・・?
    これは,源義朝の弟にして源為義の八男である源為朝を指折らねばなりません。
    どうも,昨年来の義経ブームのせいかどうか,この二人の義経の先輩(一人は兄で,一人は叔父)が忘れ去られているような気がしてなりません。
    今回は,一応今日が命日となっているこの為朝について簡単に述べてみたいと思います。

    六条院の蔵人だった父為義は非常に子沢山で,元服した子だけでも10人おりました。
    その中で八番目にあたる為朝の生涯は謎に包まれています。
    その生涯をちょつと俯瞰してみます。

    源家の惣領為義と江口の里の遊女の間に生まれた為朝は,幼い頃より性粗暴で父によって十三歳の折に九州へ追放されます。
    ところが,並はずれた体躯で武勇に秀で,特に強弓を引く為朝は阿蘇大宮司の娘(滝沢馬琴の「椿説弓張月」によると白縫姫)を妻とし,付近の豪族を平らげ,あっという間に九州を席巻し,鎮西(九州の意)八郎と名乗ります。
    朝廷では,その責任を父為義にとらせる為,為義の官職を解きます。
    驚いた為朝は急ぎ上洛し,父に詫びます。
    そうしているうちに,朝廷・摂関家の内紛に源氏・平氏も加わった保元の乱が勃発。
    為朝は父に従い,兄弟たちと共に崇徳上皇-左大臣藤原頼長方へ参陣します。
    対する後白河天皇方に馳せ参じたのは,源家では為義の長男で為朝の兄に当たる左馬頭義朝だけでした。
    この時のエピソードは枚挙にいとまがありません。
    兄義朝の夜襲を察知し,天皇方の籠もる白河殿を先に夜襲することを献策し,頼長によって一蹴される-予想通り義朝が夜襲してきたので,あわてて除目を執り行い為朝を任官させようと一転してご機嫌を取る頼長を皮肉ったり,兄義朝を射落とすことのできる距離にありながら,父と兄の密約(勝った方が命乞いをする)を深読みして敢えて義朝の首を狙わず,兜の横を狙ったり,と見事な武者ぶりを発揮します。
    しかし奮戦空しく上皇方は敗れ,父や他の兄弟(除新宮十郎義盛-後の行家)が皆斬られたにもかかわらずしぶとく洛外に潜伏。
    運悪く捕まってしまうものの,大赦に遭い,強弓が引けぬよう右腕の筋を切られ伊豆大島へと配流。
    例によって,伊豆七島や伊豆半島近海を荒らし回った挙げ句,狩野介茂光や北条時政といった伊豆の武士団によって討伐され,八丈島で自害。
    我が国の切腹第一号という説もあるそうです(大江山の酒呑童子を第一号とする説も有るらしいですが)。

    どうです,かなり謎に満ちていませんか。
    だいたい,たかだか十代の少年に九州が平定されるわけないですし,本当に伊豆の武士たちによって成敗されたのなら,公式記録が残っていても不思議じゃない筈です(まして1170年と言えば,清盛が太政大臣となって三年後,つまり平氏の全盛期なのですから)。
    ですから,為朝の生涯を追うことは,伝承を調べることになってしまうのです。

    これは,実に面白いというか,興趣があります。
    と言うのは,伊豆七島は勿論,現在の横浜市内にまで為朝の足跡が伝わり,さらには奄美大島から加計呂間島,そして琉球列島といった南西諸島にまでその伝説が多く残されているからです。
    つまり,1170年に八丈島で為朝は死なず,南西諸島へ向かったというのです。
    そして,為朝の子舜天丸(すてまる)はやがて沖縄の尚王朝の祖ともいうべき舜天王となった,といった伝承まで生むに至りました。
    ま,このへんまで来ると,さすがに17世紀初頭に薩摩の島津氏が行った琉球仕置を正当化する為のでっち上げか,とも思われるのですが,義経=チンギス-ハン伝説よりは正鵠を得ているような気がするのは私だけでしょうか・・・。

    すっかり伝説上の人物とも言える為朝ですが,さすがに前述の「椿説弓張月」を始めとして,現代の作家も為朝伝説を書いています。
    私は,子どもの頃児童書で読んだのが最初でしたが,個人的には「義経」でも名を連ねられていた村上元三の作品が面白かったです。
    南条範夫氏のものもなかなかでした。
    今度は,津本陽氏の作品を読んでみたいものです。
    三町(約300mか?)も石を投げることができるという三町礫の喜平次を筆頭とする九州以来の郎党たちの活躍とも相まって,実に楽しめました。

    また,為朝伝説には専門的なサイトも多く,こちらこちらなど,その掘り下げの深さに脱帽の思いです・・・。

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