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2006/8/11 Luzern,8.11,199610年前の今日,スイスのルツェルンに滞在していた。
折しも有名なルツェルン音楽祭の真っ最中で,欧州一円の著名音楽家たちがこことオーストリアのザルツブルグを掛け持ちで,集っていた。 広大なフィーアバルトシュテッテ湖に面したルツェルンの夏は実に美しい。 西に湖が広がり,北岸は瀟洒な造りの町並みが並び,借景ともいうべき周囲のスイスアルプスの山々と好対照を為す。 西岸には,映画「ベン・ハー」にも出てきたローマ帝国のユダヤ総督ビラトの名を冠したピラトゥス山(2,132m)が聳え,南にはティトリス山(3,239m)がある。 そして,南東岸にはシラーの「ヴィルヘルム・テル」の舞台となったアルトドルフの街がある。 音楽祭の開かれるのは,ルツェルン駅そばのクンストハウスと呼ばれる市立美術館がメインだが,湖岸から程近い場所だけに,周りは出店や野外ステージが立ち,湖岸祭の様相を呈していた。 その岸から湖北岸を見ると,夏の陽光にきらめく湖面の向こうにグランドホテル・ナチオナールやパラスホテル,カジノといった伝統的な町並みが立ち並び,あたかもコート・ダ・ジュールから見たモンテカルロにいるような錯覚に陥る(・・・と言っても行ったこと無いが・・・)。 夜には花火が盛大に打ち上げられた(夢うつつで,ベッドの中で音だけ聞いた)。 ところが,その夜半から明け方にかけて突然の嵐がこの街を見舞った。 中欧の夏は,日中は30℃を越える暑さとなるが,日が落ちると途端に涼しくなりエアコンは全く必要ない。 深夜,風と吹き込む雨に気付き,開け放っていた窓を閉めようと寝惚けながら窓際まで歩き,戸締まりをしてベッドに戻ったというかすかな記憶がある。 そしてその翌朝,20年来愛聴してきた偉大な音楽家がこのルツェルンで生涯を終えたことを知ったのは,不覚極まりないことに二ヶ月を経てからであった・・・。 ラファエル・クーベリック(1914.6.29-1996.8.11)。
世界的ヴァイオリニストヤン・クーベリック(1880-1940)の子として,ボヘミア(現スロバキュア)に生まれ,1942年には若くして名門チェコフィルハーモニー管弦楽団の主席指揮者となるも,1948年チェコの共産主義政権を嫌い英国のエディンバラ音楽祭出演を機に西側へ亡命。 その後,祖国を失った音楽家として,コヴェントガーデン王立歌劇場(ロイヤルオペラ)やシカゴ交響楽団といった名門の音楽監督を歴任。 彼の演奏するスメタナの連作交響詩「わが祖国」は絶品と言われた。 特に1961年から引退を宣言した79年まで主席指揮者を務めたミュンヘンのバイエルン放送交響楽団とのコンビは,このオーケストラの演奏精度を飛躍的に高めることになり,数々の名演奏を生むことになる。 人柄同様に穏健で中庸の美とも言うべきそつのない演奏が信条だったが,実演では火の出るような激しい演奏を聴かせることもあった。 86年,持病の関節炎と痛風の治療と作曲活動専念のため引退。 ところが,89年チェコの共産主義政権が倒れると翌年40数年ぶりに帰国し,チェコフィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立ち「わが祖国」を指揮。 翌年は,スメタナとともに同郷のもう一人の大作曲家であるドヴォルザークの生誕百周年記念コンサートで,これも十八番の「新世界交響曲」を指揮。 さらには来日公演で「わが祖国」を指揮。 スイス国籍をかなり以前に取得し,ルツェルンに住んでいたことは知ってはいたものの,その時はすっかり失念していた・・・。 こうした奇妙な符合や因縁のようなものは,実は結構ある。 以前5月11日のエントリで述べた,ドイツの指揮者ルドルフ・ケンペ(1910-76)の訃報に接した時もそうだった。 レコード店で彼の指揮したLPを見た日が,彼が生涯を終えた日であった。 さらに,ルツェルンを立った三日後,ウィーンのカフェでビールを飲みながら昼食をとっている際に,現地ガイドの方に, 「今年(1996年)はブルックナーの没後100周年だが,イヴェントのようなものは無いのか」 といったことを聞いたところ, 「リンツ郊外のザンクトフローリアン寺院(ブルックナーがオルガン奏者を務めていた)にセルジゥ・チリビダッケ指揮するミュンヘンフィルが来て演奏していった」 とのことだった。 その日,1996年8月14日,当のチェリビダッケはパリで死去していたのだった・・・。 それから10年。 クラシック音楽界は指揮者難が言われ,発売される新譜の売り上げが頭打ちとなる中,かつての放送録音の復刻CDのみが売れているという。 そして,その中でもケンペとクーベリックの演奏は抜群の売れ行きとのことである・・・。考えてみたら,チェリビダッケも含め,私も正規盤・海賊盤を合わせて数十枚は持っている・・・。 今宵は,過去を偲びつつ71年にボストン交響楽端と共に録音した「わが祖国」か,86年の引退間際にベルリンフィルに客演した際のブルックナーの9番でも聴くとしよう・・・。 2006/6/14 岩城氏逝去指揮者の岩城宏之さんが亡くなられた(こちら参照)。
10年以上前に大きな病気をされて以来,恰幅の良かった若い頃とは打って変わった姿だったが,ここ2年続けて大晦日にベートーヴェンの全交響曲を演奏するという世界にも例を見ない演奏会を敢行したり,アンサンブル金沢を育てたり,と精力的な活動を繰り広げていただけに,痛恨の極みである。 結局,生で彼の指揮に触れることはなかったが,TVやFM放送で幾つかの印象的な演奏に出会うことができた。 最初は,82年のN響欧州ツァー。 野島稔さんを独奏者にしたモーツァルトのピアノ協奏曲の最高峰とも言うべきk.595(第27番変ロ長調)とストラヴィンスキーの「春の祭典」というプログラムで,会場は何とウィーンのコンツェルトハウスだか楽友協会大ホールだかだった。 音響効果が抜群だったせいか,当時のN響としては極めて完成度の高い演奏で,ストラヴィンスキーの極めて複雑な変拍子を見事に振り分ける抜群のリズム感に感心させられた記憶がある。 次は,84年だかのフランクフルト放送交響楽団とのライブ。 バルトークの「二台のピアノと打楽器のためのソナタ」と,エルガーの「エニグマ(謎)変奏曲」という如何にも彼らしい捻りとアイディアに満ちた20世紀プログラムだった。 バルトークでは,奥様の木村かをりさんがピアノを弾き,彼自身は得意の打楽器を演奏する,という極めて珍しい演奏会となった。 「エニグマ」の終曲では,会場いっぱいにハルモニウムが鳴り響き,極めて充実感に満ちた演奏会だった。 最後は87年,手塩にかけて育ててきたメルボルン交響楽団との来日公演。 曲目は,レスピーギの交響詩「ローマの松」とR・シュトラウスの「アルプス交響曲」だったと思う。 豪華絢爛にして光彩陸離たるR ・シュトラウスの楽曲に彼の棒はぴったりで,生気に満ちた快演だった。 岩城さんは,優れた文筆家としても知られている。 私の読んだ作品では「ハニホヘト音楽説法」(新潮文庫刊)と「フィルハーモニーの風景」(岩波新書刊)という二冊の音楽エッセイが抜群に面白かった。 以前紹介した,ウィーンフィルの管楽器奏者たちは常にポケットスコアを携帯しており,和音構成を意識しながら(ここはトニカだから抑えて,とか,ドミナントだから強く,とか・・・)演奏している,という恐るべき情報を知ったのもこれらの著書によってであった。 4年前に朝比奈隆氏が亡くなり,今回は岩城さんが逝き,渡辺暁夫・森正・山田一雄といったオールドネームの方々も既に亡く,小澤氏も入院中,ということで,指揮者難は益々続きそうである。 残念でならないが,謹んでご冥福を祈ると共に,後に続く秋山和慶・小林研一郎・小泉和宏各氏の今後の奮闘を期待したい・・・。 2006/5/11 ルドルフ・ケンペの忌日に2本日5月11日は,1183(寿永3)年の倶利伽羅峠の戦いであるとか,430年前の1576(天正4)年の安土城築城であるとか,根多はあるのですが,やはり昨年と同様,このことに触れねばなるまい,と勝手に思っています。
まして,今年は丁度没後30年に当たり,私が音楽を聴くようになった年数と符合するわけですし・・・。 ルドルフ・ケンペ(1910.6.14-1976.5.11)。 ザクセンの古都ドレスデン近郊に生まれ,スイスの美しい町チューリッヒに没したドイツの名指揮者です。 昨年は,彼の略歴と演奏の特色を概観しましたので,今年は印象的な演奏について触れたいと思います。 ・・・といっても,時代を同じくしたヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)には及ばないものの,50年代のLP時代以降ケンペの残した録音は結構有り,さらに近年発掘された放送録音を加えると相当な数に上るのですが,今回は入手が簡単な正規録音を中心に述べてみようと考えています。 彼の残した録音の数々は,それこそ珠玉とも言うべきものばかりと思うのですが,必ずしも生前から評価の高かった訳ではありません。 ケンペといえば,ついついベートーヴェンからシューベルト~ブラームスを経て,R・シュトラウスに至るドイツ浪漫派onlyの指揮者と思われがちなのですが,それ以外で彼が好んで演奏した曲目に,有名なドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」があります。ドヴォルザーク(1841-1904)はご存知の通りチェコの生んだ国民楽派の大作曲家であり,1893年にニューヨークのナショナル音楽院の院長として招かれ渡米した際に,新大陸の風物をもとにかかれた「アメリカ便り」とも言うべき所産がこの「新世界交響曲」(及びチェロ協奏曲ロ短調)であるわけですが,ケンペはこの曲を私の知る限り,都合4回録音しています。 1959年にベルリンフィルハーモニーを指揮したEMI盤,1963年にロンドンのロイヤルフィルハーモニーを指揮したScribendum盤,1972年録音のチューリッヒ・トーンハレ(音楽堂)管盤(これもScribendumから01年に復刻),そして最晩年の1975年に最後の手兵となったBBC交響楽団を振ったロンドン名物ヘンリー・ウッド・プロムナード・コンサート(通称プロムス)のライブ録音,と,すべて入手したのは我ながら苦笑ものですが,後年のものになればなる程,雄大なスケールを見せる名演となっています。 特に最後のBBC盤は,プロムスに駆けつけた若い聴衆を前にしたケンペによる白熱の演奏を聴くことができます。 第一楽章のAdagioの序奏から気迫に満ち,艶やかに歌われる第二楽章の有名な「家路」(「遠き山に日は落ちて」)と力感漲る第三楽章を経て,終曲のコーダでは痛烈なたたみ込みと荒れ狂うようなブラスの咆哮とティンパニの連打が見事に決まっており,劇的な曲想にさらに壮大なクライマックスを築く,という改めてケンペが劇場叩き上げの職人であり,ブルックナーやR・シュトラウスといった作曲家の長大で劇的な作品を得意としていたことを認識させる名演となっています。 非ゲルマン圏の作曲家の楽曲でケンペが得意としていたものには,他にチャイコフスキー(露:1840-1893)の第5交響曲というこれまた美しい旋律と劇的な構成観に富んだ作品がありますが,ドヴォルザークにせよチャイコフスキーにせよ,西洋音楽の書法によってボヘミアやスラブの感性を消化させた作曲家であり,特に前者はブラームス(1833-1897)に可愛がられ世に出た,という経緯があるので,ドイツ音楽の本流を得意とするケンペにとって十八番であったことは何の不思議ではなかったということになります。 ・・・と書いてきましたが,軽くワープロ1ページぶんを越えてしまいました。 「新世界」一曲だけでこの長さですから,私が20数年来愛聴してきたブルックナーやブラームスの作品,そしてケンペの芸術の集大成とも云うべきR・シュトラウスの管弦楽曲全集+協奏的作品集について語ってしまったら,それこそとんでもないことになりかねないので,今年はこの辺で筆を置こうと思いますが,我が国のファンによる世界初の評伝が改訂されたことをここに加えたいと思います。 2006/4/25 「ラ・マルセイエーズ」革命の余韻くすぶる1791年4月25日,ドイツ国境に近いストラスブールに於いて,後のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が,工兵大尉ルジェ・ド・リールによって作曲されました。
何と言っても,芸術の国おフランスの国歌ですから,きっとお洒落でお上品な内容と思われますが,まずこちらをご覧いただき歌詞を確認されてから,こちらで旋律を確認していただきたいと思います。 作曲の経緯や,国歌制定までのことは,私が駄弁を弄するまでもなく最初のリンク先の内容を読んでいただくとよくわかりますが,ライン方面軍のための軍歌が,パリに進軍するマルセイユの義勇兵によって歌われたため,「ラ・マルセイエーズ」(マルセイユの歌)と呼ばれるようになったとのことです。 マルセイエーズとはマルセイユの女性形なのだそうですが,考えてみたら我が国の「君が代」の君とは,もともとは防人たちが偲んだ故郷の女性のことともされていますので,フランス国歌も女性を偲びつつ歌われたのかもしれません。 この「ラ・マルセイエーズ」ですが,古今の作曲家が結構自分の曲に取り入れたりしてています。 一番有名なのは,ロシアの作曲家チャイコフスキー(1841-1893)による序曲「1812年」でしょう。 同年のナポレオンのロシア侵攻とボロジノの戦闘に於けるロシア軍の勝利を描いた標題音楽ですが,迫り来るフランス軍を表すのに「ラ・マルセイエーズ」がトランッペットで高らかに演奏されます。 少し時代を遡ると,ドイツの作曲家ロベルト・シューマン(1810-56)も序曲「ヘルマンとドロテア」という作品で,この曲の断片を用いています。 そして,映画「カサブランカ」のテーマ。 「風と共に去りぬ」や「ケイン号の叛乱」と同じくマックス・スタイナー(1888-1971)による作曲ですが,前半の北アフリカを表すアラブ風の楽曲とは対照的且つ効果的に演奏されます。 因みに私は,1830年にフランス・ロマン主義を代表する作曲家エクトル・ベルリオーズ (1803-69)が編曲した「ラ・マルセイエーズ」の映像を持っています。 7月革命直後,ピストルを懐にパリの街を彷徨い歩いた多血質の青年ベルリオーズが,革命の理念に燃え,熱筆を振るった所産です。 しかし,英国国歌「God save queen」は,近代イギリスを代表する作曲家サー・エドワード・エルガーによる編曲が有り,これも映像を持っていますが,英仏両国家が国歌に於いても競り合っているような形になっているのは面白い現象です。 尤も,イギリスには,そのエルガーによる「威風堂々」第一番(「あたしんち」のエンディングのもとうた)という第二国歌,19世紀以前から愛唱されてきた「ルール・ブリタニカ」という第三国歌(と位置づけられているかはともかく)が存在するのに対して,プランスは我が国同様,第二国歌はありません,というか聞きません。 アメリカには,国歌「星条旗」の他に,第二国歌というべき「星条旗よ永遠なれ」が,「ヤンキー・ドゥートル」や「リパブリック賛歌」,「America the beautiful」といった大勢で唱和できる愛国歌が多く存在するのですが,我が国にはそのような愛唱歌は存在しませんね。 強いて挙げれば,「富士山」や「ふるさと」といった文部省唱歌がそれに相当するのかもしれませんが・・・。 尤も,今更新しいものを作ったからといって,歌えと言われても,当惑することでしょう・・・。 2006/4/23 四つの「四季」久々にCD棚を見る。
何年か前,惰性に任せて枚数を数えたところ500を越えていたことがあったが,それ以来面倒で数えていないし,ここ数年専らネットで組み物を買うことが圧倒的に多いので,700枚は越えていると予想される。 クラシックが九割で,サウンドトラックとジャズ&ヒュージョンが五分ずつといったところだろうが,私が天の邪鬼である面目躍如というか,予想通り(??)というか,所謂有名曲が殆ど無い。 かつて(というか私が聴き始めの30年前),クラシックのLPにもコンスタントに売れるベスト・セラーが有り,イタリアのイ・ムジチ合奏団によるヴィヴァルディの「四季」とカラヤン指揮ベルリンフィルハーモニーによるベートーヴェンの第五とシューベルトの第八交響曲-つまり俗に言う「運命/未完成」がそれに当たる。 CD棚を探したら,「四季」は一枚だけあった。 クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内楽団という英国人の古楽器による演奏で,80年代の録音で,篦棒に録音が良かった。 とにかくイ・ムジチのヒット以来40年以上たつものの,日本人は本当にこの曲が好きである。 基本的に,古来日本人は季節の変化に極めて敏感な民族だと思う。 故に,この400年近く昔に作曲された「四季」をすんなりと受け容れたのであろう。 勿論,南北に長い国土の特徴もあって,季節の移ろいは地域によって感じ方が異なるだろうが,冬の寒さに耐え春の訪れを渇迎するのは洋の東西を問わない。 このヴィヴァルディによる「四季」は,春に始まり冬に終わるという3曲ずつの短い楽章が季節分-つまり12曲で構成されるヴァイオリン協奏曲の形式をとっているが,「四季」と名の付く曲は,実は他にもある。 大規模なところでは,ハイドン(1732-1809)によるオラトリオ「四季」がある。 オラトリオというのは,オペラから演技をとったもの,というか,宗教的色彩の濃い内容を器楽と合唱で表現したものであるが,このハイドンの作品は同じ作曲者によるオラトリオ「天地創造」や「メサイア(救世主)」に比べて人気の点で分が悪いようである。 もっと時代を下ると,チャイコフスキー(露:1840-1893)が「四季」なるピアノ曲集を残している。 リンクを開いて,曲目とサンプルのコーナーの「試聴サンプルの聞き方はこちら」をクリックすると,全曲のさわりが視聴できる。1月に始まり12月に終わる構成で,6月の「舟歌」や11月の「トロイカ」は単独でも演奏される。 1月「炉端で」とか4月「松雪草」,5月「白夜」,12月「クリスマス」なんて曲目は,とりわけ幸福感に満ちた曲想で,気の効いた小品集となっている。 これを,20世紀前半から中盤にかけて活躍した指揮者アレクサンドル・ガウグが編曲した管弦楽版もあり,実に色彩的で効果的なオーケストレーションが為されているのだが,残念ながら試聴のリンクは見つからなかった。 チャイコフスキーといえば,三大バレエ(「白鳥の湖」,「眠りの森の美女」,「胡桃割り人形」)であるが,18世紀に開闢したロシアバレエは,20世紀になってイーゴリ・ストラヴィンスキー(露→米:1882-1971)という天才によってピークを迎える。 こちらも三大バレエ(「火の鳥」,「ベトルーシュカ」,「春の祭典」)が極めて有名なだけに,その両者を繋ぐ存在とも言うべきアレクサンドル・グラズノフ(1865-1936)は知名度の点でやや存在感に欠ける感がある。 しかし,彼の作曲したバレエ「四季」や「ライモンダ」は傑作として,今尚劇場の重要な演目となっている。 このグラズノフによる「四季」は全四場から成り,冬に始まり春・夏を経て秋で終わる。特に,「秋」の第一曲や終曲は沸き立つような生命感に溢れた名曲と思う(すべての試聴リンクを開いて試聴14,16をクリック)。 収穫を祝う踊りなのか,バッカナールなのか,詳しいことはわからないが,優れたバレエ音楽は,単独の管弦楽曲として演奏しても名曲たり得るという見本だと思う。 先のトリノ五輪及び世界選手権で,アメリカの女子フィギュア選手(エミリー・ヒューズかキミー・マイズナーのいずれかだった)が,フリー・プログラムの曲として使用していたが,成る程と思わせる。 私は,ちょうど10年前こちらを\1,800で求めたが,今は\1,000以下とは恐れ入った・・・。 2006/3/22 宮川氏逝去・・・作曲家の宮川泰氏が急逝された。
享年75。 今月末だか来月だかには演奏会への出演も予定されていたという。 正月の特別番組(息子の宮川彬良氏-「マツケンサンバII」の作曲者-が大阪フィルハーモニーを指揮したものだったが)にも元気な姿を見せていたので,まだまだ現役,と思っていた矢先の訃報だった。 「恋のバカンス」を初めとするザ・ピーナッツのヒット曲が有名であるが,こちらを見ると(宮川泰について~代表作の順にクリックすると一覧表が),その豪華なラインナップと幅の広い楽曲に只々驚く。 歌謡曲のみならず,SKDや劇団四季のミュージカルや,「宇宙戦艦ヤマト」を初めとするアニメソング(「アロー・エンブレム~グランプリの鷹」なんて題名を見た途端,気が遠くなりそうになった・・・),そして,クレイジー・キャッツの映画の数々(ドリフの映画もあった)。 また,ここ10年程は,紅白の最後の「蛍の光」の大合唱の指揮者を務められていたことも記憶に新しい。 以前も述べたように,現代における優れた作曲家とは,放送メディアの数々に曲を提供できる人々のことと思う。 したがって,宮川氏のような作曲家こそ,それに相当する。 古賀政男や古関裕而といった人々の系譜に連なる,そして昭和歌謡史にその名を連ねた偉大な作曲家であった。 合掌・・・。 2006/1/1 Neujahrskonzert 2006新年明けましておめでとうございます。
例によって,初詣の御神酒とお屠蘇に酔っての新春エントリとなります・・・。 恒例の,ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサート。 NHK-BS2が深夜に放送,というのが気に入りませんが(年々音楽番組の扱いが悪くなっている),地上波とFMをシンクロさせて鑑賞しました(途中からずれ始めた)。 指揮は初登場となるマリス・ヤンソンス(1943-ラトヴィア)。 レニングラード・フィルハーモニーと来日したことのある故アルヴィド・ヤンソンス(1914-84)の息子ですが,スラブ人を持ってくるところに,現代の指揮者難が伺えます・・・。 ヤンソンスの演奏というと,昭和の終わり頃,当時音楽監督を務めていたオスロフィルハーモニー管弦楽団と来日した際のシベリウスの第2交響曲と「新世界」交響曲という二大名曲プロが思い出され,地響きのするような演奏だった記憶があります。 昨年,ミュンヘンのバイエルン放送交響楽団と来日した際は,殆どキングタイガー重戦車の進撃(ドイツだからケーニヒスティーゲルか・・・,否旧ソ連だとIS2とかT72か・・・笑)のような超重量級のベートーヴェンを聴かされて,少々辟易していたところでしたので,正直言って演奏には全く期待していませんでした。 ウィーン訛りたっぷりで小粋なヨハン・シュトラウスの音楽をチャイコフスキーやショスタコーヴィチの交響曲のように演奏されては困るわけでして・・・。 しかし,意外や意外(と言ったら失礼ですが・・・)。 前述のバイエルン放送響やアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団といった西欧の名門オーケストラの主席指揮者を務めるだけあって,見事なウィンナワルツとポルカを披露してくれました。 先日聴いた南ドイツのオーケストラほどウィーンフィルは音の重心が低くないせいか,鈍重な感じは皆無で,少なくても去年のロリン・マゼール(1930-米)のような恣意的なテンポ設定(曲によってはドンピシャに填るのですが)や87年のヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-89墺)の厚化粧的な演奏よりずっとナチュラルでした。 恒例の「美しく青きドナウ」も,まったりし過ぎず良かったと思います。 圧巻は,メインプロの最後の曲目であるポルカ「ハンガリー万歳!」(ヨハン・シュトラウスII)でした。 さすが,東欧風の曲目だけあって,スラブの血と合致するものがあるのでしょう。 ウィーンフィルの低弦が唸りをあげるような名演だったと思います。 しかし,シュトラウス・ファミリー(II世以外では父ヨハンI世,弟ヨーゼフとエドュワルド)の楽曲は,名前を見ただけでも,「山賊のギャロップ」とか「女性賛美」とか「憂いもなく」,「狙いをつけろ!」,「愛のメッセージ」,「狂乱のポルカ」,「電話ポルカ」・・・といった具合に,実に楽しげで◎です。 交響曲第○番△短調作品×◇,なんていうより,深刻さが微塵もなく私は好きなんですが・・・。
あの,しんねりむっつり顔のブラームスも,シュトラウスの作品を愛していたということですし・・・。
それにしても,オールドファンの中には,近年のウィーン・フィルが古き良き時代のウィーン訛りを失った,とか,観光地オケに成り下がったとか言う人が居るらしいですが,確かに遂に女性団員が居たり,第一ヴァイオリンの4プルトに東洋系とおぼしき団員が居たり,と,保守的な(団員はウィーン市民に限定されてきた)オーケストラの体質も21世紀になって変化しているのでしょう。
しかし,管楽器の滑らかな響きにウィーンの伝統を残すと共に,演奏技術が格段に向上していると思います。 また,モーツァルトやシューベルトのような優雅な曲を演奏するのは良いが,近代的な大編成の曲やダイナミックレンジが広い曲を演奏するにはベルリンフィルの方が上,という先入観をもたれがちですが,あの金管楽器の重奏が顕著なブルックナーの長大な交響曲がウィーンフィルをイメージして作曲されたことを忘れてはならないと思います。 ウィーンフィルの金管群が最強奏で鳴りまくったときの凄絶さは,その先入観を粉微塵にします・・・。 ・・・ということで,地上波とBSと両方録画して,画質・音質を比較してみようと,良からぬことを考えています。 本日の演奏を収録したDVDは今月25日の発売とのこと。 三週間で編集してカッティングとは,とんでもない時代になったものです・・・。 ・・・と,また新年早々長大エントリをやってしまいまして,先が思いやられますが,今年もどうぞ宜しくお願いいたします・・・。 2005/12/20 カーオーディオ雑感カーオーディオには,全く興味がない。
限られた空間であるし,音響処理もされていない密室で音楽を聴くのには,ある程度の音質と簡便な再生装置が有れば良いと思ってきた。 直径30cmを越えるウーファ(低音用スピーカー)をトランクルームに埋め込む人種の気が知れないし(外にドンシャリな音が漏れて迷惑なだけだ),目に痛いイルミネーションでダッシュボードを飾る趣味も無い。 ただ,自宅のリビングやリスニングルーム(夢の又夢でしかないが)で,ゆったりと音楽を鑑賞する時間がなかなかとれない今,帰宅途中の車内で音楽に接することが一番多いようだ。 実は,今日の仕事帰りに,購入間もない(と言っても,1枚\250の新古品だが)CDをトレイに入れた途端,ガチャッという異音がしてローディングされなかった。 何せ外は氷点下近い寒さであるから,デッキが暖まらないのでは,と思い,しばらくアンプの電源を入れっぱなしにしておき,10分程走行してから再びトレイにCDを入れたのだが,今回もロードしなかった。 結局別のCDを入れたら動き,その後もう一回トライしてみたらロードすることができた。 ただ,この次は正常に動く保証は無い。 考えてみたら,今の車を購入した9年前に,ディーラーにサービスで付けてもらって以来一度も故障がなかったのだから,そろそろキャプスタンが寿命なのかもしれない。 当時既にイルミネーションがビカビカのグラフィック・イコライザー付きのアンプが出回っていたが,私がディーラーに付けてもらったのは,至ってシンプルな2DINのアンプとカセットプレーヤー・AM/FMチューナーのワンボディ+CDプレーヤーだった。 メーカーはクラリオン(アゼスト)。 カラオケメーカー,と莫迦にされがちだが,出力音圧が90dbを越える効率の良いスピーカーを繋ぐと抜群の高音のキレが味わえる。 カロッツェリア(パイオニア),エクリプス(富士通テン)と共にカーオーディオ御三家(?)を形成するが,どうもカロッツェリアに比べて人気は無いようだ。 さらには,SONY,Panasonic(松下とかナショナルと言った方が私なんかはピンとくるが),JVC(これも,日本ビクターと言った方が通りがよい)といったAV機器で人気のメーカーもカーオーディオでは主流になり得ない。 SONYのブランドバリューをもってしても,だ。 で,問題の私のカーオーディオだが,由々しき事態が出来した。 ここ数年,カーショップのオーディオコーナーで知ったのだが,主流はCD+MD+チューナーの2DINが主流で,カセットデッキ付きの2DINは殆ど無いのだ。 確かに,薄っぺらな磁気テープのカセットテープ(正しくはコンパクトカセット)よりは,MDの方が反復・保存の面で優れてはいるものの,はっきり言ってCD-Rが有ればMDは不要ではないかと思う。 私なんか,ラジカセで音楽を聴くなんて,音楽に対する冒涜,と思っている人種なので,MDにも全く興味が湧かず,未だにMDデッキ(あまり出ていないようだが)は持っていない。i-Podが大ヒットし,小型のHDDに音楽を収録して聴く今のご時世で,MDも既に前世紀の遺物と化しているのではないかと思われる。 さてと,今使っているアゼスト壊れたらどうしよう・・・。 JVCから2DINのCD+カセット+FM・AMチューナーが発売されているのは分かったが(Aux-補助入力端子まで付いていた),店頭には無かった。 某カーショップオリジナルだそうで,3万近くかかりそうだ。 MDで音源を増やすつもりは全くないので・・・。 2005/11/30 ベストセラー??20年以上昔,初めて海外の演奏家を聴きに行きました。
故ズデニェック・コシュラー指揮スロヴァキュア・フィルハーモニー管弦楽団,という下手すると今は民主化と東欧諸国独立の煽りで,組織改編になった団体かもしれません。 当時のわが国の演奏家の水準と比べても数段上,というか,レコードに聴く音がそのまま聞こえたことに,感動した記憶があります。 その後聴いた外来オーケストラは,記憶している限り書き連ねると,クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団,エサ・ペッカ・サロネン指揮スウェーデン放送交響楽団,シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団,イ・ムジチ合奏団,小澤征爾指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,ロジェ・ブートゥリー指揮パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団,ドナルド・ハンスバーガー指揮イーストマン・ウィンド・アンサンブル,チョン・ミュンフン指揮フランス国立管弦楽団,同フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団,エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団,エリック・クンツェル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラ,ジョルジュ・プレートル指揮パリ管弦楽団・・・となり,小澤~ウィーン・フィルを除くと(これだけ1万5千円!!),いずれも5,000円以下のものを選んで聴きました。 実は,当時驚いたことが一つあります。 こうしたクラシック系の演奏会というと,ついついお年寄りばかりが目立ち,若者の姿は希であろう,と思われがちなのですが,実は,私の若い頃の記憶では,聴きに来ているのは若者が極めて多く,既成のイメージが如何に嘘っぱちであることを痛感した覚えがあります。 これは,海外からの演奏家たちが口を揃えて言っていたことですが,欧米のコンサートに比べ日本でのそれは圧倒的に若者の聴衆が多く,皆一様に感心したということでした。 それだけ,日本の若者たちは,柔軟に音楽を摂取していたということでしょうか・・・。 ところが数年前,上述のフランクフルト放送交響楽団を友人と聴きに行った際に感じたことですが,聴衆の年齢層が心なしか上がったように見受けられたのです。 メイン・プロは,マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調という如何にも音楽好きの若者や,金管楽器を吹いている者にとって垂涎ものの曲目だったのですが(光彩陸離たる名演だった),聴衆の大部分は私と同年代とおぼしき「元若者」でした・・・(笑)。 もともと音楽産業の中では10%業界などと言われて,爆発的ヒットなど絶対に見込めないジャンルだったわけですが,近年は視聴者も高齢化が進んだせいか5%産業などとも言われているようで,先日遂に20数年来通った輸入盤専門店がCDの販売を中止するという由々しき事態にも立ち会う羽目になったくらいです・・・。 欧州楽壇の二大巨頭とも言うべきウィーンとベルリンのシェフは,片や日本人,片や打楽器奏者出身の英国人,と,発売される新譜にも魅力的なものは殆ど無く,20年以上前の放送録音のライブ盤のみが売れるということですので,クラシック音楽の斜陽化は益々避けられない事態に・・・,と暗澹たる気持ちでいたのですが・・・。 ところが,本日こんなニュースが!! 100万枚売れたなんて信じられません。 ま,細切れ演奏のオムニバスですので,私は手を出す気にはなりませんが,CD6枚で3,000円は確かに廉価です。 音源は伝統を誇る英国EMIの著名な演奏家たちばかりですので,凡演・駄演の類は無いでしょうし,録音もごく一部を除くと,80年代以降の新しめのPCM録音(ディジタル録音)が多いようです。 個人的にはクラシック系ではないBEST BLUENOTE100の方がビギナーである私には楽しめるかもしれません。 しかし,コミックスの表紙で,のだめ嬢が太鼓を演奏している絵は今後出るのだろうか・・・。 2005/11/24 オペラ記念日1894(明治27)年11月24日,上野にある東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の奏楽堂に於いて,わが国初のオペラ(歌劇)が上演されました。
演目は,前年に亡くなったフランスの作曲家シャルル・グノー(1819-1893)による「ファウスト」第一幕です。 それに因んで,オペラ愛好家たちの提唱によって,本日をオペラ記念日と名付けたそうです。 しかし,考えてみるとわが国初のオペラという点で,いささか疑問が残ります。 わが国に西欧の文物が入ってきたのは16世紀,つまりスペイン・ポルトガルといった所謂南蛮諸国によって,鉄砲やキリスト教とともにもたらされました(それより30年早く梅毒が上陸していましたが・・・)。 特に織田信長は一向宗をはじめとする仏教勢力への対抗上キリスト教を保護しましたので,西日本各地にはセミナリヨやコレジオ(セミナーやカレッジの語源でしょう)といった伝導施設が建てられ,ラテン語や音楽を学ぶ場ともなりました。 やや下って,16世紀終盤の秀吉の時代になると,9月8日の拙エントリで述べた天正遣欧使節の少年たちが,聚楽第でフランス生まれのイタリア・ルネッサンス音楽の最高峰とも言われるジョスカン・デ・プレ(1440?-1521)の曲を演奏し,秀吉をいたく感動させた,という逸話も残されていますので,16世紀後半から未だ桃山時代の華やかさが漂う17世紀初頭にオペラも入ってきて,京や大坂・堺・博多・大分・鹿児島・長崎あたりで上演されたと想像されます(もしかして江戸も?)。 しかし,当時わが国でオペラは圧倒的な支持や人気を得ることはありませんでした(今でも多分音楽人口の2%程度でしょうが・・・)。 勿論,これには理由があると考えられます。 一つは,当時室町時代に全盛期を迎えた能とか狂言といった舞台芸術がわが国には既に存在していたこと。 そして,もう一つは,オペラ自体が当時全盛を極めたルネッサンス音楽の中核たり得なかったこと,編成も小さく,圧倒的な存在感を誇るようなものではなかったということが考えられます。 当時の音楽は教会と深く結びついていましたので,カンタータやモテット等の宗教音楽が主だったことでしょう。 それに,オペラが現在のように,演出家,歌手,合唱,伴奏,指揮,といった分業制をとり大規模なもの(所謂グランド・オペラ)となったのは,18世紀末のモーツァルトの時代と思われます(職業音楽家としての指揮者の存在は,何と19世紀前半のメンデルスゾーンまで下るのですから・・・)。 ですから,初めてオペラが演奏された日,というのは,実は当たっていないのでは?と思うわけです。 但し,前記グノーの「ファウスト」が日本初演された19世紀末は,西欧ではグランド・オペラが全盛を誇っていました。 ルネッサンス以来音楽の本場と言われてきたイタリアには,ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)がおり,スエズ運河の開通式に際して,古代エジプトを舞台とした有名な「アイーダ」を作曲していますし,後進のプッチーニやマスカーニ,レオンカヴァッロといった作曲家たちも活動を開始していました。 また,10年程前に逝去したドイツの歌劇王ワーグナー(1813-1883)が心血を注ぎ,一国の財政を疲弊までさせて創設したバイロイト祝祭歌劇場では彼の大作が上演され,ウィーンやミュンヘンのオペラハウスでは,ポスト・ワーグナーとも言うべきリヒァルト・シュトラウス(1864-1948)の作品が上演されていました。 ですから,外務相井上馨の提唱によって,所謂鹿鳴館時代が開幕し,西欧の文物がどかどかと流入してきたこの時期は,確かに本格的なオペラが入ってくる必然性を有した時代だったと言えましょう・・・。 2005/11/18 ベートーヴェンの頭モーツァルトはよく聴くが,ベートーヴェンは最近どうも・・・という人は多いと思う。現に私がそうだ。
だいたい,小学生の頃音楽室の壁に貼ってあった眼光鋭い肖像画が思い出され,聴くたびに説教くらっているイメージがあるからなのかもしれない。 例えば,唯一のオペラとなった「フィデリオ」なんて,貞節とか道徳,なんて言葉が連想されて,世俗の垢に塗れて汚れきった私には苦痛だし,第9の兄弟的作品でもある「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」にしても同様だ。 エロイカ交響曲(第3番)の第一楽章は,野望を滾らせた新進気鋭の作曲家の手になる長大で推進力に富む楽曲,といったイメージで好きだったが,如何せん有名な葬送行進曲である第二楽章以降がどうも苦手で,竜頭蛇尾の印象が拭えないでいるし,田園交響曲(第6番)も退屈で敢えて聴くことなどまず無い。 音楽に親しみ始めた若い頃,それも10代の頃は第5や第7といった交響曲を好んでよく聴いた。 耳慣れた「運命はかくの如く扉を叩く」に始まり,勝利の凱歌のファンファーレに終わる前者と,ベートーヴェン自らが「バッカスの饗宴」と言い,あとに続くドイツの作曲家ウェーバーが「舞踏の聖化」と称した強靱なリズムが一貫する後者は,精神を奮い立たせる必要がある時-つまり受験生時代に多く聴いた記憶がある。 18世紀後半,ウィーンに於いて同じハイドン(1732-1809)に学んだモーツァルト(1756-91)とベートーヴェン(1770-1827)は言わば兄弟弟子の関係にあるわけだが,この二人の偉大な作曲家の違いを,残された肖像画の,何と頭髪に見る。 画像を見比べていただくと一目瞭然なのだが,モーツァルトは鬘を被っており,ベートーヴェンは蓬髪(つまりざんばら髪)なのだ。 勿論,前者が貴族で,後者が貧乏だった,という物理的に単純なことではない。 モーツァルトは飽くまでも宮廷楽士-つまりハプスブルグ王家のお抱え音楽家として,王侯貴族の依頼で数多くの楽曲を書いたのに対し,ベートーヴェンは(勿論委嘱作も多いが)飽くまでも自分のために曲を書いて売るという民間の(在野の)職業音楽家であったのだ。前述のエロイカ交響曲の作曲の動機は言わばナポレオン賛歌であり,第7交響曲やキワモノと言われる戦争交響曲「ヴィットリアの会戦とウェリントンの勝利」は後者の副題からわかるように明らかにアンチ・ナポレオンを標榜しての作品である。 つまり音楽史上は同じ古典派に分類される二人だが,ベートーヴェンの場合はその作風は明らかに,時代を同じくするバイロンやゲーテといった文豪たちと同様ロマン主義であると言って差し支えないと思う。 田園交響曲の各楽章に付けられた「田舎に着いた時の愉快な気分」とか「小川のほとり」,「農民の踊り」,「雷雨」,「嵐の後の感謝の気持ち」といった副題は,明らかにロマン主義の標題音楽の萌芽を見る思いであるし,天地が鳴動するような第9の終曲は,大がかりなマーラーの交響曲の先駆け的存在とも言えるかもしれないし,ベートーヴェンと入れ替わるように登場したフランスの作曲家でロマン主義の旗手とも言うべきベルリオーズの代表作「幻想交響曲」は,明らかに標題音楽なのである。 言うなれば,ベートーヴェンの楽曲とは,古典主義の範疇に属しながらも,近づくロマン主義の足音を感じさせる過渡期の所産,とも言えるかもしれないし,何と言っても彼の最大の功績は,それまで王侯貴族のものであった音楽を,在野のものにした,ということではないかと思う。 アメリカの カリフォルニア州にあるサンノゼ州立大学には,何と「ベートーヴェン研究所」なるものがあり,保管されていたベートーヴェンの骨が,DNA鑑定の結果何とベートーヴェンの頭骨の一部であることが判明したそうだ。 1863年に掘り起こされたベートーヴェンの墓から手に入れたらしいが,それが新大陸にあったというのが驚きである。 つい最近,弦楽四重奏曲「大フーガ」の自編ピアノ譜が見つかった,というニュースを耳にしたばかりだが,生誕235年目にして注目を浴びるとはやはり凄いことである・・・。 ・・・ということで,またしても長大エントリ,となってしまった・・・。因みにBGMは,珍しくベートーヴェンの八重奏曲だったりする・・・。 2005/11/17 最終兵器?昨年の紅白は,「マツケンサンバII」目当てに見てしまいましたが,どうも視聴率が史上最低を記録したらしく,視聴料の問題や職員の事件等もあって,世をこぞってのNHK離れが浮き彫りにされた感がありました。
対して,民放系で放送された格闘技の番組が,紅白の裏番組として異例の視聴率を稼いだことも大々的に報道され,紅白-中年以上,格闘技-若者,といった図式化もされていた記憶があります。 NHKとしては,10月6日の拙エントリにあるように,「スキウタ」なる視聴者によるリクエスト方式を採用し(私も投票してしまった),必死で紅白離れを食い止めんとしている訳ですが,遂に最終兵器を投入してきました。 何と,90(平成2)年以来,オファーを断り続けてきたユーミンの出場が内定したとのことです。 名曲が次々に生み出された70年代中期を第一次全盛期とするならば,80年代後半から90年代前半はまさに第二次ユーミン全盛期でした。 友だちの部屋や車の中には,必ずと言って良いほどユーミンやサザンのカセットテープが置いてありましたし(カーCDへの過渡期でした),コンサートツアーのチケットはプレミアが付きました。 しかも,第一次全盛期を知らない世代(70年代以降生まれ)の特に女性に圧倒的に支持されたという経緯もあります。 あれから十余年を経て,第三次全盛期が来るのか,NHK=紅白の巻き返しなるのか,高みの見物を決め込もうかと思います。 何せ,今の格闘技には全く興味湧かないので・・・。 (ユーミンが落ちたとなると,次なる大物は裏番やってるサザンか・・・)
2005/11/5 又しても,明日は本番明日は,例によって本番です。
よって,最後の悪あがき中。 朝から練習しっぱなしなのでふらふらですが,譜読みの後入浴,その後明日の支度をして,ようやく就寝。 今回は曲目が多いせいか,さすがにやばい状況です。 年々マニュアルな部分で腕が落ちている筈なのに,曲は難しくなる一方。 かつてはできた筈,と思っているうちに限界か・・・。 明日の詳細については,某氏のブログに・・・。 2005/11/4 「ラ・ボエーム」実は,2年ほど前,オペラに出演したことがある。
曲目は,ヴェリスモ・オペラの傑作にして,イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858~1924)代表作である「ラ・ボエーム」(あらすじにリンクしてみてください)。 英訳すれば「ザ・ボヘミアン」になる・・・。 ・・・と書くと,「歌?,伴奏?」と如何にも格好良さげだが,実は全四幕中,第二幕の終盤,クリスマス・イヴの夜,人々で賑わうパリの下町で,軍楽隊が鼓手隊長を先頭に行進曲を演奏しながら広場を横切る場面で,その鼓手に扮して演奏しただけである。 時間にして約3分弱。 広場を横切り橋を渡り,階段を登っていき,ステージ袖へ消えていく,という,たったそれだけの登場である。 ピットに入ったオーケストラの別働隊ともいうべき存在だが,これをバンダ・セクションと呼び,ヨーロッパでは「バンダ手当」なるものが支給されるらしい。 私の場合は,当然のことながら無給だった。 オペラを(それもきちんと舞台セットを組んだ公演)見る機会など限られているし(海外のオペラハウスの引っ越し公演は莫迦高くて,庶民には手が出ない),ましてや,ちょい役とはいえ,出演する機会などまずあり得ない訳であるから,実に貴重な体験をしたと言える。 バンダには,脇役クラスの歌い手さんの楽屋の一郭を与えられたが,髪結いや着付けの裏方さんで殆ど戦争のような様相だった。 ひっきりなしに出入りする歌い手さんのメイクや衣装合わせに,裏方さんたちの大立ち回りがとにかく凄かった。 一人で数人を担当し,あっという間に着替えるし,メイクも替わる。 オペラがキャストやオケ団員のみならず,こうした裏方さんたちに支えられていることを痛感した。 当の私は,鼓手の帽子(士官帽だった)を被るのだが,頭が(顔も?態度も?)人一倍大きいからか,なかなか合う大きさの帽子が無く,髪を固めて帽子を入りやすくするために,髪にポマード状の油が塗られ,かちかちに固められた。 顔も,舞台映えするようにと,白いものを塗られそうになったが,帽子を目深に被ることを理由に断った。 手前味噌だが,感動的な上演だった。
第三幕・第四幕(内容についてはこちらが詳しい。こちらはよりマニアック)をそ知らぬ顔で客席で見ていたが,肺を病んだヒロインのミミが,恋人であるロドルフォの部屋で思い出を語り,やがて事切れる場面でオケが壮麗に鳴り響く終幕では,不覚にも涙腺を刺激された・・・。 プッチーニの作品は有名な「蝶々夫人」や未完に終わった「トゥーランドット」も,甘美なメロディーと歌に溢れているばかりではなく,分厚く色彩的なオーケストレーションが顕著で,ここぞという場面で鳴りまくるオケの威力もあって実に聴き映えがする。 CDやDVD二枚分,2~3時間の上演なので,飽きずに見ることもできるので,オペラの入門には最適とも思われる。 ・・・ということで,明後日に迫った数ヶ月ぶりの本番,曲目の一つはこの「ボエーム」のセレクションだったりする(去年は同じプッチーニの「トスカ」だった)。 そんでもって,例によって今から譜読みをすることに・・・(嘆息・・・)。 ↓期間限定で楽譜の一部を公開。音符が殆ど無いのに書き込みの多いこととしわが,過酷な演奏内容を物語る・・・??。 2005/10/6 紅白アンケート今年の紅白は,視聴者アンケートによるリクエスト方式(スキウタというらしい),と聞いて,一体どうなることやら,と思っていたら,こんなニュースが入ってきた。
近年頻発した諸問題で,若者のNHK離れが進み,きっと紅白は根強い演歌系のリクエストが上位を占めるのでは,と予想したが,なになにSMAPとモー娘はここでも強かった。 しかし,果たしてこの中で真の名曲たり得る曲がどれほどあるのか甚だ疑問だ。 SMAPにモー娘に大塚愛,レンジ(どうやらオレンジレンジを最近こう呼ぶらしい),ゆず,kinki等,10位以内は民放の歌番と変わらないような内容で,確かに年代別集計の必要性を感じる。 特に,ネットでのリクエストは若者が多いだろうから,このままだと間違いなく若者に人気のグループ(最近はユニットと言うらしい)ばかりが上位選出されることだろう。 せっかくなので,私も投票してみようかと,600曲ものリストのページを開く。 いやー,驚いた,と言うか面白い!! 戦後歌謡史を俯瞰する思いだ。 昭和20~40年代なんて名曲の宝庫ではないか。 リアルに曲に接した50~60年代も懐かしいだけではなく,名曲と呼ぶに相応しいナンバーが控えている。 平成初期だって悪くない。 うーん,何にしよう・・・。 でも,きっと反映されないだろうな,と思ってしまうが,現時点で60万人程余裕があるので,やっぱり投票してみよう・・・。 2005/9/1 小澤氏,70歳全国防災の日である本日,指揮者の小澤征爾氏がめでたく70歳の誕生日を迎えられた。
折しも,10数年前から小澤氏が主宰するサイトウ・キネン・フェスティヴァル(師匠である故齋藤秀雄氏のメモリアルコンサート)が松本市で開催中で,友人にして世界的なチェリスト兼指揮者でもあるムスティスラフ・ロストロポーヴィチ氏もお祝いに駆けつけ,ショスタコーヴィチの「祝典序曲」(ヴォルガ・ドン運河開通記念の曲)を指揮し,サン-サーンスのチェロ協奏曲を小澤氏の棒で弾いた。 私と「世界のオザワ」との出会いは,1974年に発売されたベルリオーズの「幻想交響曲」(廃盤か・・・)に遡る。 内容が内容の曲だけに,おどろおどろした情念的な演奏が多い中,快速とも言えるテンポで小気味良くオケを鳴らし,すっきりした表情の演奏で,当時オザワが音楽監督に就任したばかりのボストン交響楽団の華やかな音色も色を添えていた。 ただ,38歳当時の演奏は,時には青臭いとも言うべき自己主張と衒いに満ちており,同世代の他の指揮者たち,例えばクラウディオ・アバド(伊1933生),ズビン・メータ(印1936生),リッカルド・ムーティ(伊1941生)といった面々に比して,失礼だがワンランク下ぐらいの印象だった。 そのオザワが,今世紀,世界の頂点とも言うべきウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した。 これは,オペラのみならずウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者,ということでもある。 実に喜ばしいことである。 ただ,以前のエントリでも触れたが,逆に現代が如何に指揮者難,指揮者不足の時代であるかの裏返しであるような気がしてならない。 アバド,メータといった70年代のスターたちに昔日の瞬発力が既に無く,ムーティはイタリアオペラのスペシャリスト(但しヴェルディ専門)としてミラノに君臨している事情を考えると,極当然とも言える人事だったのかもしれない。 実は,オザワのオペラ,というとイメージがあまりない。 レコードでも非公式録音だったメシアンの「アッシジの聖フランチェスカ」とストラヴィンスキーの「エディプス王」ぐらいしか咄嗟に思い浮かばない(最近興味を失いつつあるので・・・)。 実際,オザワが欧州で活躍し始めた70~80年代,幾つかのオペラの上演は,かなり酷評されていた記憶がある(マスネ「ウェルテル」の指揮者が二回り若いリッカルド・シャイーに変更になったこともあった)。 さらに,コンサート曲目でオザワが存在感を示せるのは,バルトークやカール・オルフといった近代・現代物で,東洋的な色彩が顕著である曲のみではないか,とも思う。 話題になった2002年のニューイヤーコンサートは予想以上に素晴らしかったが,印象に残ったのがシュトラウスの名曲よりも,ヘルメスベルガー作曲「悪魔の踊り」だったことに,余計その感を強くした。 ・・・ということで,僭越極まりないことに我等がオザワを結構酷評してしまったが,期待の裏返し,ということだ。 ぜひ,ウィーンの貴婦人たちの度肝を抜き,保守的な聴衆を唸らせる快演の誕生を渇迎する。 強烈な色彩感に満ちたR・シュトラウスのオペラであるとか,スピード感とキレ味に満ちたオルフの「カルミナ・ブラーナ」であるとか(勿論合唱は国立歌劇場合唱団で),フランスのオケを振って,ニュアンス豊かですっきりした表情のドビュッシーの管弦楽作品とか(ビゼーは良かった)・・・。 最後に,オザワは,合わせもの,即ち協奏曲の伴奏が絶妙であることを述べておきたい。 前述のロストロポーヴィチが全幅の信頼を寄せていることでもそれは立証されているが,個人的には,1984年夏のザルツブルク音楽祭でヨー・ヨー・マにバックを付けたドヴォルザークのチェロ協奏曲が絶品であった。 これ程,良く鳴り,良く歌い,良く響く伴奏は20年以上を経た未だに存在しない・・・。 2005/8/29 Musical Batonいつもお世話になっておりますわかばさんより,Musical Buttonをいただきました。
実は,私が更新を大変楽しみにしている小袖さんからも以前いただいていたのですが,対応の仕方がわからず,レスを付けただけで失礼してしまいましたので,今回はご質問にお答えしてみたいと思います。 但し,特に次の方にはお渡ししませんので,もしよろしかったらご覧いただき,鼻で笑ってくだされば幸いでございます。 ご周知の通り,こと音楽に関する拘りは甚大ですので,マニアックにして偏執的なチョイスになることが必至です。 さらに只でさえ長くて読む気がしない,といつも言われる駄文をさらに垂れ流すことになるのも見え見えですが, 「ををを,またやってるやってる」 と,呆れていただけると,これまた幸甚でございます・・・。 ≪1 コンピュータに入っている音楽ファイルの容量≫ 私も殆どありません。
基本的に,PCの再生機能では満足できませんので・・・。 マイ・ミュージック開いたら,一曲だけ,「ばくはつ五郎」の歌の着メロが入っていました・・・(あ,根多めっけ・・・笑) -------------------------------------------------- ≪2 今聴いている曲≫ 韓流ドラマ「夏の香り」Original Soundtrack
5/13の拙エントリの後,DVD全9枚一気に見てしまいました・・・。 もう,おねいさんに萌え萌えです・・・(爆)。 -------------------------------------------------- ≪3 最後に買ったCD≫
これっす(笑)。 メキシコ製爆演集。 こういう演奏を聴くと,まともな演奏を聴けなくなるので要注意。 ある音楽評論家が,闘病中の人と老人に聴かせてはいけない,と言っとりました。 確実に寿命が縮まること請け合いです。 怪しげなパッケージデザインとシュールな装丁。 郵送されてきたやつは,落下品だったようで,カートンボックス裏側に穴が開いていて,CDのプラケースも2枚ほど破損していました。 でも,何故か許せちゃう・・・(笑) この人のコラム,笑えます・・・。 -------------------------------------------------- ≪4 よく聴く、または特別な思い入れのある5曲≫ 1.『悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)』(桑田佳祐)
桑田のシングルソロ第一弾。 87年秋だった・・・。 個人的にいろんなことがあった時期の,今となってはメモリアルとも言うべき曲。 恐れ多くてカラオケで歌えない・・・。 2.ピアノ四重奏曲第一番ト短調作品25(ブラームス~シェーンベルグ編曲)
シェーンベルグの華やかなオーケストレーションを以てしても,重厚にしてラブソディックな曲想に変化無し。 デモーニッシュにしてマジャールの血を感じさせる隠れた名曲。 ぜひ一度演奏してみたい・・・。 勿論,原曲も素晴らしい。 3.『人生(たび)の空から』(松山千春)
81年。 「あの時代」を共有した方なら,『起承転結』,『同2』といったベストLPを聴き,「オールナイト・ニッポン」のDJを聴いたはず(同時期にはタモリ,中島みゆき,山口良一,所ジョージ,笑福亭鶴光が居た)。 「誰でも持ってる」ベスト盤には,『No Damage』(佐野元春)というのもあった・・・。 4.無伴奏チェロ組曲より第一番(J.S.バッハ)
わかばさんも挙げておられたが,楽聖バッハを外すわけにはいくまい。 教会音楽から一曲,とも思ったが,やはりこれかと。 古今の名演奏家たちの名演で・・・。 5.映画「アポロ13」より,大気圏突入~エンド・クレジット(J・ホーナー)
ここ10数年,ホーナーの曲にはまりっぱなし。 「アメリカ物語」,「ウィロー」,「グローリー」,「フィールド・オブ・ドリームス」,「ブレイブ・ハート」・・・。 次点,「アメイジング・グレイス」(アイルランド民謡)
「ロンドンデリー・エア」(ダニー・ボーイ)とも思ったが,よりいろいろなアレンジの有るこれにした。 映画「メンフィス・ベル」のサウンドトラックでは,両方が聴ける・・・。 うーん,思いつくままに書き並べましたが,相変わらず支離滅裂です。
5曲挙げるといっても,TPOやその日の気分,感情によって選曲は違いますしね・・・。 あと,クラシック系は演奏者に,映画音楽系は作曲家に著しい偏りが見られます・・・。 声楽系と宗教曲とオペラ入ってないし・・・。 それを書いたら10kbぐらいになるかもしれない・・・。 ということで,予想通り長くなってしまいました・・・(爆) 勿論,この手の根多だといくらでも出てくるのですが,これ以上書くと本当に皆様に愛想を尽かされるので,自粛します・・・。 2005/6/25 又しても,明日は本番2005/6/17 名指揮者逝く先刻,出張から帰りました。 個人的には,イタリアの名指揮者で1998年に夫人及び自身の健康を理由に引退したカルロ・マリア・ジュリーニ氏の訃報を知り(1914-2005),遠からぬ日にいつかは・・・,と思ってはいたものの残念な気持ちです・・・。 20年前に発売された名門ウィーンフィルハーモニーを指揮したブルックナーの第八交響曲を久々にかけてみましたが,峻厳な表情と艶やかな歌心を併せ持つ明晰極まりない演奏であることに改めて気付かされました(僭越ながら,Reviewを掲載させていただいております・・)。 このような個性で鳴らす指揮者が見当たらない今世紀は,やはり巨匠不在にして指揮者難の時代であることを痛感せずにはいられません・・・。思えば,マリア・カラスが全幅の信頼を置いていたのが,このジュリーニだったとのことです・・・(55年の「椿姫」は凄い。しかもあのヴィスコンティが演出・・・) 2005/6/12 ウィーン気質午後から久々にオケの練習へ。 曲は,フンパーディンク(1854-1921)作曲,歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲。 もう一曲は,ヨハン・シュトラウスのポルカ。 19世紀後半から20世紀前半にかけて,ウィーンは空前の「未亡人」ブームだったそうです。 成る程,今夜から私はオーストリア人のような生活をすれば,きっとヨハン・シュトラウスのみならず,ベートーヴェンやブラームス,或いはモーツァルトやブルックナー,はたまたスッペやシェーンベルクあたりも,上手く演奏できるようになるかもしれません。 |
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