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2006/8/4 新車乗用車販売台数ランキング今年上半期の新車乗用車販売台数ランキングが発表された。
以前も拙エントリで触れたが,こちら見ると1~30位までの月別ランキングと上半期のランキングが分かるとともに,前年比も分かるようになっている。 今年になって,セリカ(トヨタ)・インテグラ(ホンダ)と,それぞれ昭和50年代・60年代を風靡したスペシャリティーでスポーティーな車が,不人気により相次いで生産終了に追い込まれた。 それと同時に,ここ数年多くの名車たちがその名とともに消えていった。 かつては,カローラと共にファミリーセダンの人気を二分していたサニー(日産)の名はランキングにない。 さらに,兄弟車とも言うべきコロナとカリーナ(共にトヨタ)の名もカタログから消えた。前者はプレミオ,後者はアリオンになった,ということか。 特にコロナは,私が最初に乗った車でもある。 ユーザーの平均年齢52歳とか言われ,若者からは見向きもされなかったが,85年発売のコロナクーペは流面形で美しいフォルムを持っていた・・・。 さらには,ひと頃トヨタの顔的存在だったマークII(かつてコロナマークIIといったことを知る人は多くなかろう)もマークXと名を変え,兄弟車でひと頃ヤン車として妙に人気があったチェイサーとクレスタも今は無い。 かく言う私が乗ったトレノ,カリブというスプリンターも遂に消滅した(4ナンバーのバンが残っているようだが・・・プロボックスに変わったかも・・・)。 スプリンターカリブに至っては,ボルツという後継車もあったが販売台数が伸びず,発売後すぐに受注生産になり,3年を待たずして市場から消えた・・・。 ・・・という時期に昭和42(1967)年の発売以来40年近い歴史を持つカローラが相変わらずの1位である。 尤も,セダンのみならずワゴン(キムやんが宣伝しているフィールダーというやつ)やアレックス,ランクスという変則ボディも含めてではあるが,月平均12,000台をコンスタントに売るというのは凄いことだ。 2位のヴィッツ(トヨタ)も月産10,000台と安定した売れ行きである。 作り,内装,剛性等,競合車種の極めて多いコンパクトカーの分野で,やはりベストはこの車であろう。 全幅169cmと5ナンバー基準いっぱいの大きさも居住性の良さの理由だろう。 そして,3位のフィット(ホンダ)は奇跡ともいうべき車である。 発売後5年たつというのに,その売れ行きぶりは相変わらずである。 かつて若者のホンダ,F1のホンダ,スポーツカーのホンダというイメージを見事にミニバンのホンダ,コンパクトカーのホンダといった具合に転換させた企業イメージの勝利であろう。 ホンダというメーカーは,本当にイメージ戦略が上手い。 CF一つをとっても,その小洒落た作りは群を抜いている。 フィットに乗ってまず感じるのは,インテリアデザインの妙である。 発売後5年を経るのに古くささを微塵も感じさせないどころか,その質感ははるか後発のヴィッツのそれを凌ぐ。 乗った途端に,ああ,いいな,と感じさせるのだ。 限られた予算で,如何にも質感が高いように見せる工夫の巧さはホンダの得意技だろう。 ただ,私なら上記の理由でヴィッツを薦めるし,より質実な作りのコルト(三菱)の方が企業イメージで損をしているだけで優れていると思うのだが・・・。 超お買い得は,何と言ってもウィッシュ(トヨタ)だろう。 7人乗り1800ccがカローラに毛の生えたような金額で買えるのだから・・・。 先代ストリーム(ホンダ)はこれにやられたと言ってもよいかもしれない。 適度に囲まれ感のあるインパネデザインも秀逸だし,シートアレンジの多様性も良い。 私なんかが買えば使い勝手も良いのだろうが,どっこいまだ守りに入りたくない私としては良さを認めつつも乗るには・・・,というところだ。 最後にbb(トヨタ)。 四角い車が何故か若者と女性に人気だ。 何でこんな車,と思って乗ってみたら居住空間が極めて広い。 5人乗ってわいわいやるに丁度良いということだろう。 因みに老婆心ながら言うが,このbbもラウムもモノコックはヴィッツと共通である(ラウムとイストは先代ヴィッツがベースだろうが)。 ラウムユーザーにそのことを言うと「うそー」と言われ厭な顔をされたことがあったが,事実である。 ついでに言うと,かつて莫迦売れしたノア(トヨタ,兄弟車はヴォクシー)だが,これは歴としたダイハツ製の車(デルタ)のOEMである。 知らないで買ったユーザーに教えてやって,ここでも厭な顔をされた大きなお世話様の私であった・・・(ダイハツに失礼だろう・・・)。 ・・・ということで,私が検討中の3台中1台がベスト30に入っていた・・・。 今まで乗ってきたトヨタ車4台は,いすせれもプラモデルで発売されていない不人気車ばかりであったが(スプリンタートレノのみ模型化されていたが,私が乗っていたのはイニDに出てくるハッチバックではなく,ノッチバックのクーペだった・・・),どうやら5台目もそうなるのであろうか・・・。 ブレーキバッドの摩耗とショックのオイル抜けが指摘され,サスがへたってきた愛車だが,今日もエンジンの吹け上がりと加速は抜群だった・・・。 さて,どうしよう・・・(深まる迷い・・・) 2006/4/7 国産車販売ランキング2005年度の国産車の販売ランキングが新聞に出ていた。
1位(1位) カローラ(トヨタ) 146,119台
2位(9位) ヴィッツ(トヨタ) 124,515台 3位(2位) フィット(ホンダ) 116,980台 4位(22位) ステップワゴン(ホンダ) 102,080台 5位(4位) ウィッシュ(トヨタ) 88,477台 6位(30位) セレナ(日産) 88,031台 7位(14位) ティーダ(日産) 84,280台 8位(-位) ノート(日産) 83,477台 9位(6位) パッソ(トヨタ) 82,948台 10位(8位) アルファード(トヨタ) 82,842台 ( )は前年度の順位
ベスト10はこのようになっていた。
勿論,これが良い車10選という訳では決してないが,売れる車の傾向は何となくわかる。 1位のカローラは豊富なバリエーションと広い室内空間がウリなのだろう。 セダンの他にアレックス,ランクス,フィールダーというRV系を持っているのも強みなのかもしれない。 天下のキムやんを起用したフィールダーが莫迦売れしているとは思えないが・・・。 2位のヴィッツと3位のフィットは,何度か実車を詳しく見る機会があり,実際に動かしてもみたが,前者は作りといい質感といいやはりコンパクトカーではベストと思う。 発売から5年以上になる大ヒット作の後者が見当しているのは,室内空間の大きさもさながら,インパネの質感が大きいと思う。 ホンダは本当にインテリアデザインがうまい。 低コストで質感を高めている。 ステップワゴンとセレナは新車の強みだろうし,日産としてはノートのヒットも嬉しいことだろう。 5位から10位は僅差なので,11位はクラウンだそうだが,12位以下も知りたいところだ。 フィット同様,発売語数年たつにもかかわらず,安定した売れ行きを維持しているのは,ウィッシュだろう。 1.8リットルクラスで7人乗り,180万~というのは買い得だ。 これもじっくり見る機会を見たが,確かに納得できる内容だった。 尤も,最後列の折りたたみシートはあくまでも非常用だろうが・・・。 ・・・ということで,相変わらずミニヴァン人気は変わらないようで,10車のうち4車がミニヴァンだ。 クラウンが次点に付けたが,かつてのハイオーナーカーの時代はとっくに去り,空前のRVブームもどっかへ行ってしまい,スポーツカーのスの字も見られなくなったことに時代の推移と流行の虚しさを感じる。 そして,一方ではこちらで分かるように,新車の買い換え期間が延びたようだ。 車検を三度以上通す,つまり7年以上乗るユーザーが61%にも上るというのは,やはりそれだけ車の耐久性が上がったことと,庶民の台所や懐が厳しいということだろう。 今月10日で満10歳の誕生日を迎える私の愛車もその中の一台と考えると何となく感慨深いものがある。 リヤのブレーキパッドが摩耗し,左リヤのショックが軋みだした愛車との別れが近づいてくる・・・。 勿論,天の邪鬼の私がチェックしている車種は上記11車種の中には存在しない・・・。 明日,時間があればディーラー回りをしたいのだが・・・。 2006/4/2 2006年F1GP第三戦豪州GP「右京さん,あなたまで何故バトンを応援する・・」
前日の予選に於いてポールポジションを獲得し,HONDAチーム単体としては1968年のイタリアGP(ジョン・サーティス:英)以来の優勝か,とマスコミが騒ぐ中始まった今年の第三戦は,元ベネトンフォーミュラーのピットクルーだった森脇基泰さんを除く解説者殆どが,HONDAの若きエースであるジェンソン・バトン(英)を応援していました。 特に,クラッシュによって4回もセーフティーカーが導入,というとっちらかったレースで,ローリングスタートによって,バトン,ファンパブロ・モントーヤ(マクラーレン・メルセデス:コロンビア),そしてラルフ・シューマッハー(TOYOTA独)が三つ巴となり,結局その乱戦をラルフが抜け出したとき,元F1ドライバーの片山右京氏が,バトンを応援する言葉を発した際, 「右京さん,あなたはTOYOTA系のドライバーだったでしょうに・・・」 と,思わず私は口に出していました・・・。 ファンの方やユーザーの方には申し訳ないのですが,以前も述べましたように私はHONDAという企業,そして商品である車(但し四輪)が好きではないのです。 CM一つで車が莫迦売れするような国民性に問題があると思うのですが,特に若者に対するイメージ作りが極めて上手で(確かにCFの作りの上手さに関しては,TOYOTAはHONDAの爪の垢を煎じて飲むべき,とかねがね思っていましたが),若者のHONDA,スポーツカーのHONDA,F1のHONDA,お洒落なHONDAというイメージを極めて巧妙に演出して当時の若者(私の年代)に植え付け,スポーツ・クーペやSUVの流行が終わると,「ミニバンのHONDA」或いは「コンパクトカーのHONDA(今尚売れ続けているfitの大ヒットは記憶に新しい)」といったイメージに転換させる,という「イメージ戦略」により,若者の文化の一端を担ってきたというのが,天の邪鬼でTOYOTAユーザーの私には到底受け入れられず,「保守的なTOYOTA」,「F1で勝てないTOYOTA」,「おっさんのTOYOTA」という,HONDAへのアンチテーゼに凝り固まった私は絶対にHONDA+バトンを応援できる筈がないのです。 実は,バトンを私が嫌う理由はこれだけではありません。 佐藤琢磨(SUPER AGRI F1・HONDA)が今年HONDA(昨年はBAR・HONDA)から弾かれたのは,バトンが契約権のあったウィリアムズチームに対し多額の(数十億との噂)違約金を払い,HONDAと強引に契約したことに原因があると考えられるからです。 勿論,昨年BAR・HONDAの戦闘力が上がらぬ上にレース戦略上のミスも重なり琢磨が結果を出せずに完全なスランプに陥っているとき,悪いなりにきっちりと結果を出してきた(それも幸運のすべてが彼に行った)バトンに対するチームの信頼は絶対なものがあり,バトンをHONDAが引き留め(何せ出世払いともいうべき違約金を代払いしたのですから),フェラーリからルーベンス・バリチェロ(伯)をバトン放出の際の保険として引き抜き,琢磨を放逐したのはHONDAが行ったことで,バトンには責任が無く,結果を出せなかった琢磨が悪い,というのが一般的なものの見方かもしれませんが,私は到底バトンを応援する気にはなれないのです。 これは琢磨とタッグを組んでいた一昨年から思っていたことです。 ・・・ということで,私の邪念と必死の最後尾レースを戦う琢磨の怨念なのか,度重なる赤旗中段+セーフティーカー導入,そしてローリング・スタートの度に順位を落としたバトンは,何と最終ラップの最終コーナーでジャンカルロ・フィジケラ(ルノー:伊)との5位争いを演じているうちに突如強力なHONDAエンジンがブロー。 ホームストレート上で白煙と共に火まで吹き,チェッカーフラッグまであと10m足らずというところですべてのポイントを失う,という劇的にして呆気ない幕切れでした・・・。 それにしても若きディフェンディング・チャンピオンであるフェルナンド・アロンソ(ルノー:西)は何と上手い,そして強いのでしょう。 ちょっと隙がありません・・・。 2位のキミ・ライコネン(マクラーレン・メルセデス:扮)も今回は全くアロンソに刃が立ちませんでした。 HONDAばかりが注目される中,きっちりとポディウムを獲得したラルフは殊勲賞ものです。 そして,二台ともクラッシュして精彩を欠いた赤馬の命運や如何に・・・。 偉大なるミハエルに対し,「落日の皇帝」とはひどすぎやしませんか,CX。 今回,近接バトルが多く見られ,各車の性能差が感じられなかったのは,要するに低い気温と路面温度により,タイヤが暖まらずグリップが十分に得られなかったことが大きいと思います。 何せ,リミッター付きのV10エンジンでトルクが太いとはいえ,昨年までのミナルディ(トロ・ロッソ)が互角に赤馬と渡り合い(一時は兄シューが抜かれた),遂に新人のスコット・スピード(米)が入賞までしてしまうらいでしたから・・・。 特に硬いコンパウンドのタイヤをチョイスしたBS勢はかなりハンデがあったと思われます。 兄シューの右フロントにフラットスポットがはっきりと見えましたし,BS勢で入賞したのはラルフだけでしたから・・・。 いずれにしても,アロンソの横綱相撲を除けば,極めてスリリングでハラドキものの近年まれに見る面白いGPでした。 琢磨も井出も揃って完走したし,いよいよ二週間後の欧州ラウンド開幕のイモラが待ち遠しいです・・・。 2006/3/3 てんとう虫1958年3月3日,発売された一台の乗用車は,やがて12年の長きにわたって生産されていくことになる。
戦後の混乱がようやく収まり,朝鮮動乱によって景気が上向きになったこの時期, 1955年に通産省が提示した乗用車の普及促進政策の一環として,富士重工が開発したスバル360がそれである。 我が国の,それも都心の住宅事情に合わせた省スペース対策が為され,丸みを帯びたコンパクトなボディが実に愛らしく,VWビートルに対してこちらは「てんとう虫」と呼ばれることになる。 現在は,「スバル」の社名が定着し,「富士重工」という社名を知らないスバルユーザーも居るかもしれないが,前身は,戦時中まで航空機の生産を行った「中島製作所」であり,歴とした軍需産業であった。 特に,太平洋戦争末期に登場した陸軍四式戦闘機「疾風」は,2000馬力級の大型空冷エンジンを搭載して驚異的な高性能を示し,最高最強の戦闘機と呼称されたアメリカ陸軍のP51Dマスタングにも優るとも劣らぬ傑作機と言われた。 また,これはそれほど有名な話ではないかもしれないが,戦闘機王国と言われた中島製作所は,我が国初のジェット戦闘機「橘花」を終戦の年に開発している。 見ての通り,メッサーシュミットMe262のコピーと揶揄される機体だが,機体は一回り小型であるし,エンジンはBMWが開発したものを参考に作られた。 Me262の図面を持ち帰ってから僅か九ヶ月後のことである。 そして,富士重工と名前を変えた1957(昭和32)年には,戦後初の国産ジェット練習機T1を開発している。 スバルの技術には,こうした航空機のノウハウがフィードバックされている,と良く言われた。 確かに,軽量にしてコンパクトな360の車体は,航空機,それも戦闘機の設計思想が導入されていると考えても,あながち間違いとは言えまい。 そして,60年代 から70年代にかけての所謂高度成長時代,スバル360は,その廉価であることや,空冷二気筒エンジンをリアに置いたレイアウトにより,大人4人が座れるという当時としては画期的な居住性が確保されたこと,そして普通乗用車と比しても遜色のない乗り心地の良さとも相まって,爆発的なヒットとなる。 私の子どもの頃,モータリゼーションが華やかなりし時代であったせいか,同じクラスの友人の父親がこの360のオーナー,ということが度々あった。 あまり広くない車庫の中に鎮座まします360の正面形は,てんとう虫と言うよりアマガエルに近いと思った。 当時の街中には,必ずこの360が走っていた。 その風景を見なくなって一体どれぐらいたったであろうか。 多分,私が最後に見たのはmegawebに置いてあったやつだろうが,走っているやつを見たのはいつが最後だったか・・・。 いずれにしても,見ただけで昭和40年代の臭いを感じさせ,あの活気に満ちた時代を瞬間的に思い出させてくれるという希有な車である。 さて,愛車がいかれてきた今日この頃,次なる愛車は,浮気せず五台目もTOYOTAにするか,はたまた水平対向エンジンがウリのスバルにするか,目下悩み中である。 2006/2/15 茨の道本年1/28の拙エントリで述べたSuper Agri Formula 1であるが,遂にドライバーのラインナップが正式に発表された。
エースは勿論佐藤琢磨(29)で,相棒は昨年のフォーミュラー・ニッポンのランキング2位だった井出有治(31) となった。 うーん,どうなんだろう。 新チームを立ち上げる場合のドライバーのラインナップって,非常に人選が難しいと思うのだが,琢磨と誰を組ませるか,と考えると,できれば安定した速さを持ち,開発能力に優れたヴェテランが良いと思うのだが・・・。 例えば,古いところだと,リカルド・パトレーゼ(伊)とか故ミケーレ・アルボレート(伊),ディレック・ワーウィック(英),マーティン・ブランドル(英)なんて名が思い浮かぶ。 もうちょっと新しいところだと,オリビエ・パニス(仏),ミカ・サロ(扮),アラン・マクニッシュ(英)といったところだろうか。 実際,F1での井出の力は未知数なので何とも言えないが,純国産ということに拘って琢磨を十分にサポートできない,などということにならなければ良いのだが・・・。 マシンのシェイクダウンも大過なく済み,来週はバルセロナのカタルーニャ・サーキットに持ち込んで合同テストに臨むということだが,開幕まで一ヶ月の今,突貫工事による範では否めまい。 増して何十億単位の金が動くビッグビジネスの世界であるから,かつてのアラン・プロストのチームがそうなってしまったような,ジリ貧状態に陥ることなく長く安定した成果を臨みたいものだ。 3年落ちのマシンでの序盤と,十分なテストのままならぬニューマシンSA06(スペインGPから投入とのことだが,もっと遅れると踏む),チームとしての経験不足,スポンサー・フィーの問題等々,困難が山積の茨の道を敢えて選択したのであるから,とにかく頑張って欲しい。 長年のファンとしては,結果のみを望むのではなく,今シーズンは長い目で見守って行きたいと思う。 まあ,欧州ラウンドに入る頃に中段から上位をかき回すくらいになってくれれば御の字だろう。 あと,個人的には,琢磨を放出してバトンの多額の違反金をウィリアムズに払ったHONDA本家がずっこけてくれることを密かに願ったりしている。 ま,テストは絶好調のようなので,昨年序盤のようなことはなさそうだが・・・。 そして,我がTOYOTAには昨年以上の表彰台を望む。 ドライバー的に最も熟したチームであるから・・・。 2006/1/28 F1殴り込み子どもの頃や若い頃に夢を持つのは大いに結構だが,そうした「将来の夢」の中で,
「これだけは止めた方が良い」 「絶対に無理だから・・・」 「金と運と実力+αだから・・・」 「日本人だから無理・・・」 と,誰もが止めるのは,何と言ってもF1のドライバーになることだろう。 多分,メジャーリーガーやセリエA(別にブンデスリーガでもプレミアリーグでも良いが),或いはそれ以上に人気のあるらしいNBAとかNFLの選手になるよりもはるかに困難だからだ。 因みに私の子どもの頃に,こんな夢を見る奴は誰も居なかったと思う。 F1は完全にヨーロッパのものであり,グラハム・ヒル,ジム・クラーク,ブルース・マクラーレン,ヨッヘン・リント,ピアーズ・カレッジ等々,鬼籍に入った伝説のドライバーたちが覇を競っていた時代である。 HONDAが果敢にF1に殴り込んでいった時代でもあるが,世の中全て巨人の連覇とメキシコ五輪のサッカー銅メダルに酔っていた。 勿論,私も例外でなく,堀内という10代の投手にたまげ,高橋一三という30勝投手の投球に痺れ,背番号は21にしたくらいだった・・・。 我が国でF1人気に火がついたのは,まず1976・77年にかけて開催された富士スピードウェイでの日本GPがきっかけだろう。 ニキ・ラウダとジェームス・ハントのタイトル戦となり,ロニー・ピーターソンとジル・ヴィルヌーブが絡んで死者が出たという因縁の一戦だ(76年)。 そして,80年代に入ってHONDAの第二期参戦と86~91までの王座君臨,それに被る日本人初のフルタイムドライバー中島悟のエントリーにより,我が国のF1人気は91年をピークに,空前のバブル時代を迎えた。 そして,アラン・プロスト,アイルトン・セナという二人の天才の個性とエゴがぶつかり合った90年の日本GPに於いて,遂に日本人ドライバーが表彰台に登る。 89年にザクスピードレーシングからデビューし,全戦予備予選落ちという屈辱を味わった鈴木亜久里である。 その後,片山右京,井上隆千穂,中野信治,高木虎之助といったドライバーがF1に挑み,そして,去っていった。 亜久里自体も,90年の3位表彰台がピークで,92-93年には強力な無限HONDAエンジンを搭載したマシンに乗りながら1ポイントも取れなかったし,フランスのリジェから参戦した95年など,オーナーのトム・ウォーキンショーの策略で,マーティン・ブランドルとシートを分け合うという屈辱を味わった挙げ句,肝心の日本GP予選でクラッシュして病院に送られ,そのまま引退,という尻切れトンボな晩節を送った。 結局,日本人の表彰台は,2004年のアメリカGPに於ける佐藤琢磨まで,お預けとなる。少年の頃セナを見てF1ドライバーになると決めた少年は,血の滲むような努力を重ねた末に,10数年を経て遂にその夢を果たしたことになる。 その二人,亜久里と琢磨が来たるべきシーズンにタッグを組む。 亜久里はチームオーナーとして,琢磨はエースドライバーとして,赤と白に彩られたナショナルカラーを纏ったマシンを走らせる。 セカンドドライバーも日本人が噂され,シャーシは自社開発,エンジンはHONDA,タイヤはBSと純血和製コンストラクター,SUPER AGURI F1の誕生である。 FIAが気をもたせた結果,ようやく昨日参戦・エントリが認められた(こちら参照)。 個人的に,饒舌で有言不実行男と言われた亜久里は応援したこと無かったが,今回のF1殴り込みは壮挙として讃えたい。 尤も,突貫工事でエントリを進めてきただけに,今季の成績は我が楽天と同様全く期待できまい。 如何にパワフルなHONDAエンジン搭載とはいえ,肝心のシャーシがさし当たっては4年落ちのアロウズのマシンを改良するということなので(ファクトリーも英国の旧アロウズのものを使うという),日進月歩の開発競争社会であるF1では通用しないだろう。 ニューマシンはスペインGP以降ということなので(多分もっと遅れると思う),それまではテストも全く無しで4年落ちのマシンを使うことになる。 だから,旧ミナルディ(トト・ロッソ)や旧ジョーダン(ミッドランド)とテールエンダーを争うことになろうし,下手するとそれらのチームより下を走ることになろう。 資金難と戦闘力向上のためにチーム運営は火の車となろうが,何とか長期的に続けて欲しい。 クレバーなアラン・プロストでさえ,自チームの運営をしくじったので,亜久里のマネジメントがどれ程のものか見物ではある・・・ (かなり不安・・・) 。 3月の開幕戦,バーレーンに亜久里と琢磨が揃い,F1がさらに面白くなることを大いに期待したい・・・。 2005/12/11 モーターショー24年ぶりの開催,かつ今年は無料ということもあって,当然のことながら会場付近は大渋滞。 市内北西部の我が家から,市東端の港にある会場まで小一時間かかり,その上の渋滞なので,裏道探してようやく入場。 いやー,中も凄い人だかりでしたが,何のことはない,コンパニオンのおねいさんが出てくると,途端に人だかりができ,引っ込むと人がはけるという・・・。 お目当てのTOYOTAとBAR HONDAのF1もしっかり拝むことができました。 HONDAの方は,最初におねいさんがそばにいらしたので,殆ど撮影会のような様相を呈していましたが,前述の通り引っ込んでからは,ゆっくりと細部を確認することができました。 対して,TOYOTAの方は,台上の展示でしたので,HONDA程のインパクトは感じられませんでしたが,隣のブースの一人乗り電気自動車i-swingが人気で(おねいさんが動かしていた),人が少なかったので,ずっとゆっくり見ることができました。 隣に,「エンジン」でキムやんが乗ったToms F3(これは中嶋Jrですが)が展示してあったのはご愛敬。 キムやんのヘルメットとグローブも展示されており,若者が多く集まっていました。 時間があれば,ゆっくり外車ディーラーも見たかったのですが,子連れではそうも行かず,早々に引き上げることに。 商談ブースも幾つかあったようですが,果たしてどれ程の経済効果が見込めるのか甚だ疑問です・・・。 ま,駐車場代もロハだったし,個人的には楽しめましたので・・・。 左上:BAR HONDA F1。#4なので佐藤琢磨車。モノコック後方の絞り込みが凄い。
右上:TOYOTA F1。TF105かと思いきや,フロントウィング中央が凹んでいないので,前年型 TF104だろ う。モノコック後方の流麗さはHONDAを凌ぐ。
左中:リヤセクションのディフューザーにカメラを入れる。こんなの俺しか撮らないだろう,と,ささやかな自己満足。剥き出しのカーボン・ファイバー地が生々しい。
右中:ご存じキムやん号。さすがにF1より二回りほど小ぶり。Team Ichinoseのロゴが泣かせる。
右下・左下:お約束の綺麗なおねいさん。ローバーとポルシェのブースにいらっしゃいましたので,ついつい・・・(爆)。
一応35mmも持っていきましたが,やはりEOS kiss DigitalかNikon D50 or 70が欲しいです・・・。 2005/11/22 出し過ぎに注意・・・思い出すのも忌々しい。
片側二車線の内側,橋上の緩いカーブ。 後ろにぴったりと別の車。 時速は40km弱。 やがて車線減少の表示。 左にウィンカーを出したが,左後方10数mに別の車。 仕方なくアクセルを軽く踏み込み,十分な車間距離を保ってから左へ車線変更。 煽るように真後ろに貼り付いていた車も一緒に,左車線へ。 「この野郎,これ以上へばりつくとブレーキテストかますぞ」 と思った途端,突然眼前に警察官。 左路肩へ寄れ,との指示。 (えっ,俺が・・・) 一瞬何のことかわからず,もしかして工事中で止められるのか,と思った。 貼り付いていた真後ろの車は,そのまま走り抜ける。 「はい,左に寄せてゆっくり止まって・・・」
警官がいっぱいいる。 え゛,これってもしかして・・・。 途端に頭に血が上った。 「どういうことですか-」 思わず警官を睨んだ。 加速してスピード違反するように,車線を切ったとしか思えなかった。 「完全に速度違反です」 私と同年輩とおぼしき警官が言う。 「50キロ制限でしょ」 「いいえ,橋の上から40キロなんだね~」 気の毒そうに言われたが腹の虫が収まらない。 やがて,別の警官が測定器のデータを持ってやってきた。 「53km。13kmオーバーです。」 再び血が上った。 「煽られてたんだぞ。車線減で仕方なく前に出て車線変更せざるを得なかったんだ。おまけに,移ろうとした車線には同じような速度の車がいて,すぐに入れなかった」 「ここは,この先に高校と大学があって,後ろには小学校があるから普段はスクールゾーンなんだよ。だから,どんな理由があろうと違反は違反なんだよ。歩行者の安全が第一なんだから。」 「そりゃそうだろうけど,今は夏休みで誰も歩いてないじゃないですか。あんな車線の切り方して,いつもここで僕みたいな奴が来るのを待ってるんじゃないのですか。現に僕を煽った奴は逃げていったし・・・。」 「だからどんな理由があろうと,違反は違反です。」 「理不尽だ。絶対違反切符切らせないし,反則金なんか絶対払わないからな」 「そう言われてもねえ。ほら,あれ見てよ。みんなあんなに捕まっているんだよ。誰もあんたのようにごねたりしないよ。」 見ると,マイクロバスの中に10数人。 こってり油を絞られているのだろう。 「こんな理不尽なことに唯々諾々と従う方がどうかしている。公権力の濫用じゃないのか」 ・・・と,啖呵切ったものの,遂に折れて違反切符切られた上に,反則金\15,000払ってしまった(胸くそ悪いのでその日のうちに払った)・・・。 何でも後で聞いたら,やはり取り締まりの名所だったそうで,その先の高校(県内一の進学校)の先生が何人も捕まっているとのこと。 免許証を渡すときに, 「ありゃー,ゴールドじゃないか・・・。」 と,さも気の毒そうに言われたが,だったら捕まえんなよ,と言いたくなったのを辛くも堪えた・・・。 以上が昨年夏,免許取得後21年にして遂に制限速度違反をした時の顛末である。 書いていて思い出すとまた腹が立ってきたが,ま,どっかで線引きしなくてはならないのだから,仕方ないか,と思う。 安全運転を心がけよう。 で,何でこんな面白くもない根多を書いたのかというと,実はこの記事を見たからだ。 いやー,やっちゃいましたね,フィジコ君。 我が家と同様,子どもの熱が上がり(耳が痛いのも同じ)ついつい,と思うと人ごとではない・・・。 しかし,運転していたのは当然ルノーの何かだったろうが,古代に整備され,ローマ帝国軍が進軍したであろう松の木が繁るアッピア街道を時速140kmとは恐れ入った。 さすがF1ドライバー・・・というか,何事も無くて良かった・・・。 私は多分2点減点で,その後一ヶ月間無事故無違反だったので点数は消え,2/16の拙エントリで述べたように免許更新時に一時間のくそ面白くない講習を受けただけで済んだが,フィジコ君の場合は当然一発免許取り消し。 尤も,FIAのスーパーライセンスは別物なので,来年度の参戦に影響は無いとのことだ・・・。 2005/11/19 モーターショースーパーカーとは,極めて懐かしい響きである。 昭和50年代初頭,週刊少年ジャンプ誌に連載されていた池沢さとし氏の「サーキットの狼」(私はさほど好きではなかった・・・)のヒットもあって,空前のスーパーカーブームが訪れた。 免許のない,そして自分の車を持つことなんて夢にも考えたことのない10代の少年たちにとって,とにかく大排気量にものを言わせて莫迦っ速いスーパーカーは憧れだった。 世界に数台しかないランボルギーニ・カウンタックLP500Sが独特のフォルムとも相まって人気で,同じランボルギーニ・ミウラ,イオタや赤馬(フェラーリ)246GTSや同308GTB,同512BB等イタリア車がとにかく別格だった記憶がある(他には,マセラッティ・ボーラ,同メラクとか,ランチァ・ストラトスとかも・・・)。 しかし,例によって当時から天の邪鬼だった私は,イタ車には目もくれず,ひたすら独車のプラモを作っていた。 それもカレラ911とか924,928,930といったポルシェには目もくれず,当時「バイエルンの白鷹」と呼ばれたBMW3.5CSLが好きだった。 一見無骨ながら,実は洗練されたフォルムを持つこのクーペは今尚魅力的であり,BMW本社のあるミュンヘンには,根拠のない憧れを漠然と抱いたものだ・・・。 ・・・,ということで,フェラーリF50やランボルギーニ・ミウラを見たいとは思うものの,名古屋へ行くのは暇も金もない。 そこで,今年は遂に入場料が無料となる地元のモーターショーへ行ってみようかと考えている。 コンパニオンのおねいさんはいるのだろうか・・・(爆)。 2005/9/18 洗濯日和朝夕はかなり涼しくなったが,日中は30℃近くまで気温が上がる。
つまり日較差が大きいので体調を崩しやすい。 また,天気が悪く長袖が必要,と思ったりした途端に翌日は夏日に戻ったりする。 今日がまさにそうで,久々の洗濯日和となった。 午前10時に,昨日来の洗濯物を取り込む。 たたんでいる間に洗濯機をまわし,たたみ終わった頃に丁度脱水が終わるように計算して仕事を進める。 乾燥機は極力使わないようにする・・・。 ということで,留守番させられたおかげで洗濯をする羽目になった。 午後は,実家に顔を出した後,下の子が昼寝をした隙に汗だくになって庭仕事をする。 その後は,洗濯ならぬ洗車が待っている。 よくある洗車場に行くと,水洗いだけで\500ぐらいかかってしまうし,洗い残してもやり直しがきかない。 従って,どうしても自宅で洗うことのできない方には,洗車料金が安いスタンドをお薦めする。 私がずっと行っていたのは,水洗い\100,ワックス洗車\300というところだった。 ところが,このスタンドが潰れてしまったおかげで,しばらく洗えない日々が続いた。 7月末に引っ越しして,ようやく自宅で洗車できる環境になったので,本日二度目の洗車と相成った。 ◎準備物 ・洗車ブラシ(柔らかすぎず,ある程度,毛に腰があるもの) ・ぼろきれ,または雑巾2枚。 ・タイヤ・レザーワックス(白い泡状のスプレーのやつか,液状のやつ) ・ピッチクリーナー(液体スプレー。カーショップやDIY店で\300ぐらい) ・ワックス(以前は,半固形の円柱状の缶入りが良いと言われていたが,液状の「フッ素コート」とか「イオンコート」とかいうやつが撥水性が良いし,塗りやすく拭き取りやすい。付属の専用スポンジで塗布) ◎手順 1.左手にホースの先,右手に洗車ブラシを持ち,まず,ゴム製フロアマットを洗って干す。 2.屋根から水をかけながらボディの汚れを 落とす。タイヤハウスの裏側の泥を丹念に。(以上10分) 3.タイヤワックスをタイヤにかける。ついでにウレタンバンパーにも(2分)。 4.ピッチクリーナーで,夏の間ボディ下部に付着したピッチ(コールタールの粒)を落とす(5分)。 5.4.の布で,タイヤとバンパーを拭く。黒々としたタイヤを見ると嬉しくなる(3分)。 6.ワックスをまんべんなく塗布する。液状だとあっという間に塗布できる(5分)。 7.最初に塗った辺りはもう乾いている。2枚目の布で,丹念に磨いていく。艶が出てくるととにかく嬉しい(10分)。 以上,40分あれば一台をワックス洗車できることがわかった。 今日は2台やったので大変だったが・・・。 戸外に水栓が無い場合は,バケツで水をかけながら行っても良いだろう。 こうしてやっていると,↓9年間乗った車も新車同然の光沢に・・・・・・ならなかったか・・・。 2005/9/5 2005年F1GP第15戦イタリアGP-王者の黄昏・・・入賞圏内でスタートしながら,入賞できない赤馬。
モンツァの森に響くティフォシたちの歓声が,溜息に変わるのが見えるようでした・・・。 盛者必衰の理なのか,それとも今年のみのチームの不振なのかはわかりませんが,いずれにしても,昨年あれ程のアドバンテージを誇示したチームとは思われない結果となりました。 それにしても,BAR-HONDAは一体何をやっているのか,と怒り心頭です。 前半4位走行の琢磨のマシーンに燃料が入らず,今一度のピットインを余儀なくさせてせっかくのチャンスを不意にした,と思っていたら,実は入っており,とてつもなく重いフルタンクで走らせて・・・と,お間抜け極まりないことになってしまいました。 バトンも3位から8位へ転落,と,どうしようもないピットのミスで,10ポイント以上を失う羽目に・・・。 対して,TOYOTAはレース戦略が決まり,予選5位のトゥルーリがポジションキープ,9位スタートの弟シューが6位と,今シーズン6度目のダブル入賞で,いよいよ赤馬の背中が見えてきました。 残り4戦で首位アロンソと2位ライコネンのポイント差は27点。 つまり次のラウンドでアロンソがライコネンに4点以上差を付けるとチャンピオン決定となるのではないでしょうか・・・。 コンストラクターズ・タイトルは,首位ルノーと2位マクラーレンの差は8点。 こちらの方が面白そうな感じです。 同じく3位の赤馬と4位TOYOTAの差も8点。 残り4戦での混戦に期待です。 次は一週間後のダブルヘッダー2戦目で,欧州最終決戦,ベルギーはアルデンヌの森に囲まれたスパ・フランコルシャンが舞台です。 シュー兄弟の故郷にも近いし,ドイツに本拠を置くTOYOTAやメルセデス,BMWにとっても重要な一戦となります。 スパに秋風が立つ頃,欧州ラウンドとも別れを告げるのが残念ですが・・・。 そうそう10/9(日)の日本GP決勝は初の生中継だそうですね。 今までもやればできたのに,CX・・・。 2005/8/31 1000年前なら牛車かな・・・どうでも良いことかもしれませんが,こんなニュースが入ってきました。
皇室御用達-即ち御料車ですが,ニッサン・プリンス・ロイヤルが長らくその任にあったわけですが,この度38年ぶりで新しくするとのことです。 次の御料車は,トヨタ・センチュリー・ロイヤルだそうですが,この車ってモデルチェンジしているのでしょうか・・・。 どうも,こちらを見てみると,私が小学生の頃から変わっていないような気がするのですが・・・。 調べてみたら,現行は二代目のようです。 当然受注生産でしょうから月産どころか年産数台といったところしか出ないのではないでしょうか・・・。 因みに,皇太子もセンチュリーに乗られるそうで,秋篠宮は三菱ディグニティだそうです。 はて,dignity-威厳ですが,どんな車だろう・・・。 そう言えば結構前に,センチュリーの競合車種とも言うべき,ニッサン・プレジデントがフル・モデルチェンジしたとの報を聞いた記憶があり,さらにはミツビシ・デボネアも初のモデルチェンジをしていました。 国産車はひと頃モデルチェンジの周期が4年で,欧州車に比して極めて短いサイクルで車を売っていましたが,飽きっぽく流行のものに飛びつきやすい国民性がここにも表れていると思われる反面,こうして長年変わらずにいる車もあることを知って,何とも言えぬ思いです・・・。 しかし,5,250万円ですか・・・(絶句)。 その1/10以下の車を買えないでいる私にとっては,別の世界のお話です・・・。 2005/8/2 2005年F1GP第13戦ハンガリーGP旧共産圏でF1が初めて開催されたのは1986年だそうです。
ニキ・ラウダ(墺),ジェームス・ハント(英),マリオ・アンドレッティ(米),アラン・ジョーンズ(豪),ジョディ・シェクター(南ア),ケケ・ロズベルグ(扮)といった綺羅星のようなチャンピオンたちと,ロニー・ピーターソン(瑞),ジル・ヴィルヌーブ(加),カルロス・ロイテマン(アルゼンチン),ジョン・ワトソン(英),パトリック・ダンベイ(仏),といった個性で鳴らした面々が去り(個人的に大好きなルネ・アルヌー:仏:古舘曰く妖怪通せんぼじじい:は居た・・・),丁度私がF1に興味を失っていた時期です。 初のブラジル人チャンピオンになったネルソン・ピケや,ラウダから帝王学を学んだアラン・プロスト(仏),私と同い年でJPSカラーのロータス・ルノーを駆るアイルトン・セナ(伯),そのセナによってロータスを追われる形となったナイジェル・マンセル(英)といった次の世代のスターたちが実力を発揮し始めた端境期であったとも言えるでしょう。 ドナウの宝石とも東欧の巴里とも形容される古都ブダペスト郊外。 平原と湖とマジャールの国ハンガリーが,当時国威をかけて作ったオンガロリンク。 第4コーナーを過ぎて次の複合コーナーに差しかかるあたりだったしょうか。 如何にも中欧らしい瀟洒な家並みが,忽然とあたかもおとぎの国の風景のように浮かび上がるのが実に印象的でした。 ダスティーにしてツイスティーなオンガロリンクだけに,ドライバーも集中力が試される一戦ですし,ピットストップの際,マシンのサイドポンツーンから草をかき出すシーンはこのサーキットならではの光景と言えましょう。 予選10位で,スタート直後の混乱に巻き込まれることなくステディに走りきった琢磨がついに今季初ポイント。 悪い流れを断ち切って次に期待です(ウィリアムズ2台の後塵を拝したのは何故だ・・)。 スタート直後の混乱と言えば,ポイントリーダーのアロンソは踏んだり蹴ったりでしたね。ま,今までのように幸運ばかり続かない,ということでしょうが,ライコネンとの差が縮まって少しは面白くなりそうです・・・。 アロンソに突っ込まれたトゥルーリ,バリチェロに追突された弟シューのTOYOTA2台は危なげない走りで3,4位フィニッシュ。 コンストラクターズポイント11点の荒稼ぎでした。 対するHONDAもバトンと琢磨のダブル入賞で,日本勢4台の大健闘が光り,久々に溜飲を下げたレースでした。 これで,弟シューは何戦連続ポイントでしょう・・・。 遂に今季初表彰台だし・・・。 史上最高の天才ドライバーの名をほしいままにする兄と違って,短慮なドライバーと思ってきましたが(失礼),ここ数戦の粘り強く結果を出す走りに大きな成長を見てとることができます。 三週間の夏休みを経て,F1は初の開催地イスタンブールへ移動です。 東西の,アジアと欧州の接点であるトルコ。 オリエンタルにして妖しげなイメージの国だけに,初開催への興味は尽きません。 8/21が今から楽しみですが,千代田区と同様スパイ銀座とも言われるイスタンブール。 F1諜報部員の暗躍はあるのか・・・??? 2005/7/25 2005年F1GP第12戦ドイツGP実況担当の塩原アナだか馬場アナだかが言っておりましたが,人生のある時期には,いくら努力しても全く報われず深みにはまっていく,ということが必ずあります。
増して,結果を出してなんぼ,の勝負の世界であれば尚更だと思います。 特にイーブンな条件で勝負している相棒なり同僚が運やツキにも恵まれ,次々と結果を出していくと益々深みにはまり,やがては自暴自棄になって,最終的に道を誤ることになる可能性が大です・・・。 ここ何戦かの佐藤琢磨はまさにそんな状況でしょう。 トラブルやアクシデントに遭い,完走しても順位が低いため,予選の出走順も早いため,ダスティでラバーグリップの足りない状態の路面で,一回こっきりの予選アタックに賭けざるを得ず,本来セカンドローを取るぐらいの速さとテクニックを持ちながら,アクシデントに遭いやすい中段グリットに埋もれてしまい,畏れていた通りスタート直後1コーナーでの接触でフロントウィングを失って後方に沈み,いくら追い上げても失ったタイムは大きく,せいぜいミナルディーとジョーダンしか抜けず,12位。 対する同僚のバトンは,スピードの伸びない兄シューをまんまと喰って3位表彰台。 私だったら絶対頭に来て,途中で勝負を投げ出したくなります。 しかし,決して腐らず,自分を鼓舞して最後まで走りきり,次のレースに繋げる努力を惜しまないその姿勢にはただただ頭が下がる思いです。 野球を見ていても,していても感じることですが,どうも目に見えぬ力が作用する時があるようで(先日のオールスター第一戦の清原がそうでした),所謂「野球の神様」ではないでしょうが,とにかく会心のプレーができてしまうことがあるようです。 私は9年前の試合の最初の打席,やたらボールが大きく見え,無心で振り抜いたら絶妙なインパクトの感触と共に,打球がレフトフェンスまで飛んでいくのが見えたことがありました。 多分,私のバットに「野球の神様」が降臨したのでしょう・・・。 「野球の神様」ならぬ,「レースの神様」がいるかどうか知りませんが,願わくは世界に通用する数少ない「侍」である琢磨に結果を出させてあげて欲しい,と本気で思います。次はタイトでダスティなオンガロリンクですので,比較的グリップの良い奇数グリッドに並んで欲しいものです。 97年,非力なアロウズYAMAHA A18を駆る前年のチャンピオン,デーモン・ヒル(英)が,3番グリットからスタートして,ラスト2周までトップを快走したような目の覚める走りを期待しています・・・。 しかし,琢磨とトゥルーリが同時にコースアウトして,修理のためにピットインした時は,またしても萎えました・・・。 その点,予選12位からしぶとく走って6位に入った弟シューのステディな走りがせめてもの救いです・・・。 ライコネンぶっちぎり,の予想は半分当たりました(当たっても嬉しくないですが・・・)。ツィスティなオンガロは,ルノーにも勝機があるでしょうが,フルタンクでも速いマクラーレンの優位は崩れないと踏みます。 ただ,昨日のアロンソの勝利で,得点差がちょっとつきすぎましたが・・・。 しかし,日本勢4台が活躍する,という私の望み,というか願いは果たして叶えられるのでしょうか・・・。 折角,節を曲げてHONDA応援しているのに・・・。 2005/7/11 2005年F1GP第11戦イギリスGPパレードラップ終了直前,最終コーナーで止まった琢磨のマシンを見て,一気に萎えました・・・。
しかし,何でまた,毎回毎回ご難続きなんでしょうね。 相棒のバトンの方はトラブル・フリーなのに・・・。 グリットは7位ですから,まともに走っていればポイントを獲得できたはずです。 本人の悔しさ,如何ばかりか,といったところですが,それをぐっと噛み殺して,まずはチーム・クルーを讃えたその紳士的な態度に感服しました。 次こそ臥薪嘗胆です。 TOYOTAは相変わらず決勝ラップに問題有りです。
4位スタートのトゥルーリが9位フィニッシュで入賞を逃すとは,一帯何が悪かったのか分かりません。 12位スタートの弟シューがまたも粘り強く走って1ポイントゲット。 次は準母国GPですから,TRDの意地に駆けても頑張って欲しいところです。 しかし,予想通りマクラーレンが来ましたね。
それも,コロンビアの怪童モントーヤの移籍後初優勝とは・・・。 フルタンクでも莫迦っ速いライコネンがまともに上位グリットかにスタートしていたら,勝負にならなかったことでしょう・・・。 次は二週間後でしたね。 ドイツ・ホッケンハイムリンクとハンガリー・オンガロリンクのダブルヘッダーです。 そして,何とその後は地中海を東進して,小アジア半島へ。 初開催のトルコGPとは,何とも楽しみです。 次のホッケンハイム,ずばりマクラーレン2台の圧勝と読みますが,果たして結果や如何に・・・。 予想が当たるとつまらないので,Mc+Ren,赤馬+TOYOTA+HONDAの5チームが鎬を削るようだと面白くなるのですが・・。 メルセデス,BMW,シュー兄弟とハイドフェルドはホームGP,TOYOTA,クリエン,フリーザッハーにとっては準ホームGPになります。 魔物が棲むと言われる黒い森でのバトルに期待です・・・。 2005/7/4 2005年F1GP第10戦フランスGP欧州夏の陣三連戦の初戦です。
前回のPPに続くトゥルーリのフロントロー+琢磨のセカンドロー。
これで期待しないわけがありません。 しかし,終わってみれば,アロンソ強し,ライコネン速し,兄シュー巧し,といつもの通りでした。
3ストップの琢磨は,ノーミスが絶対条件だったのですけどね・・・。 アデレードヘアピンでバリチェロを刺した走りは抜群でしたが,トゥルーリに対する仕掛けは早すぎましたね。
気持ちは痛いほど分かりますが,焦らなくても良かったと思います。 淡々と走っていたように見えるバトンが4位入賞ですから,してやられた感じです。 これで全チームでポイント無いのが琢磨だけとは,悲しい限りです・・・。 巡り合わせが悪いとしか言いようのない二度目のコースアウトは,前方が見えなくなっていたようですが(誰かがオイル吹いた??),ボトムを傷めたのか,序盤のスピードが影を潜めてしまいました。 TOYOTAの課題は,やはり決勝でのスピードでしょうね。
決勝2ストップで,3ストップのアロンソに対して0.1秒まで予選で迫れるのに,決勝では見る見るうちに10数秒は離されましたからね・・・。 2位スタート5位フィニッシュのトゥルーリは,実に悔しかったことでしょう。 それにしても,バリチェロ+ウィリアムズはどうしてしまったのでしょう。
バリチェロなんて入賞すら逃すし,ウィリアムズの2台も後方に沈む・・・。 ウェバーもハイドフェルドも若くて良いドライバーだと思うのですが・・・。 何でもBMWがザウバーを買収したと言うし,相変わらずきな臭いF1界ですが,名門の復活はあるのでしょうか・・・。 何せ次は地元ですし・・・。 そう考えると,粘り強く走って,予選12位から7位に入賞した弟シューは,地味ながら良い仕事をしたのではないでしょうか・・。
しかし,あのマニクール・サーキット,とんでもない田舎にあるし,コース幅が狭いのでバトルは少ないし,何とかならないですかね。
ポール・リカールやディジョン(かつてスイスGPとして開催された過去あり),はたまたル・マン-サルテ・サーキットででもF1やった方が良いのではないか,とついつい思ってしまいます・・・。 次は,GP発祥の地,英国シルバーストーン・サーキットです。 前身は軍の飛行場,というフラットな高速コースも,長年にわたる改修で中速サーキットとなりました。 99年に兄シューがクラッシュした,というか初の日本人ワールドチャンプとなったケン・アカバが80年に事故死したストウコーナー(知ってる人何人??)までの高速バトルが見ものです。 ま,個人的には,多くの思い入れのあるサーキットでもあります・・・。 それは,次なるエントリで・・・。 2005/6/20 2005年F1GP第9戦アメリカGP-史上最低最悪前日の予選では,今季大活躍のヤルノ・トゥルーリ(伊)が最速のストレートスピード(340km超)をマークし,圧倒的マージンを持つキミ・ライコネン(扮:マクラーレン・メルセデス)を抑え,TOYOTAに初のポールポジションをもたらし,いやが上にも決勝への期待は高まります・・・。
1.不本意ながら出走を拒否した14人のミシュラン・ドライバーとチーム。
2005/6/13 2005年F1GP第8戦カナダGPラスト8周,最終シケインでランオフエリアにそれまで3位を走っていたヤルノ・トゥルーリ(伊:TOYOTA)のマシンがはみ出した瞬間,一気に脱力感を味わいました。 総括的に見てみると,毎年のことながら波乱に富んだ荒れたレース展開で,面白みはありました(スタートでは珍しく何も起こらなかったように見えましたが・・)。 母国GP,そして偉大なる父の名を冠したサーキットでヴィルヌーブは,入賞にあと一歩でした。 最後にサーキットについて。 来週は北米連戦ですので,インディアナポリス・モータースピードウェイです。 2005/5/30 2005年F1GP第7戦ヨーロッパGP終盤,異次元の速さでトップを独走していたキミ・ライコネン(扮:マクラーレン・メルセデス)の右フロントタイヤにフラットスポットができ,2位に上がったフェルナンド・アロンソ(西:ルノーが1.5秒差まで追い上げたところでファイナルラップに突入,と思いきや何とライコネンの右フロントタイヤより先にサスペンションアームが壊れ,そのままスピンしながらグラベルへ。 解説の森脇さんも仰っていましたが,サス・アームはモノコックと同じくカーボンファイバー製です。 ライコネンの心中如何ばかりか,といったところですが,GPシーンでも独走態勢になりつつあっただけに,アロンソにマージンがあった方がこれからを考えると面白いかもしれません。 BAR HONDAの二台は我慢のレースを強いられましたね。
2005/5/23 2005年F1GP第6戦モナコGPレーニエ大公が亡くなられたので,そのメモリアルレースとなりました。 スタートが予想に反して大過なく,最後尾の二台+赤馬が順調にポジションアップの序盤と,ミナルディが引き起こしたアクシデントによるセーフティーカー導入以後,団子状態の後半,と,キミ・ライコネン(扮:マクラーレン・メルセデス)のぶっちぎり独走という欠か以外は見どころ満載でした。
ルノーは,アロンソ(西)・フィジケラ(伊)ともにタイヤにトラブルを抱えていて,スピードが上がらなかったようです。
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