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日志


2006/8/9

737

全くの私事で恐縮だが,10年前の今日,最後(と言っても3回しか行っていないが)の洋行の途次,成田発ロンドンヒースロー空港行きJALB747-400機上にあった。
当時既にソ連邦は解体した後だったので成田から新潟を経て日本海上に出で,シベリア~ウラルを越え,モスクワ平原を横切ってカレリア地峡からフィンランド湾,そして南下して英国へ,というルートだった。

ロンドンでのトランジッドの後,スイスのチューリッヒへ向かう。
ヒースローでVTRカメラを回していたら,グランドオフィサーとおぼしき当時の私より年かさの女性に恐い顔でつかつかと駆け寄られ,VTR撮影は禁止と早口にまくし立てられたり(スチルは良いのに・・・),だだっ広い免税店を冷やかしたりして時間を潰し,いざ搭乗,と相成ったのが,British Midland Air(BMI)のボーイング737型旅客機だった。

をぃをぃ,ちょっと待てよ。
British Midlandというからには,Britsh Airways(BA)が日航に当たるとすると,かつての全日空のように国内及び近隣国へのその名の如く中短距離専門の航空会社なんだろうが(実は違っていて,A321等のエアバスも保有し,ヨハネスブルグまで飛ばしている結構大きな会社であることを機内で知った),B737って何だよ,30年以上前の機体じゃねえか・・・。
既にB727は日航も全日空も退役だから,何でそんなの飛んでるんだよ・・・。
恐いじゃないか・・・。
Swiss Airなんて,7年で退役させて新型機に替えるというのに,一体何なんだ・・・。
客席はアコモデーション改造されているようだけど,液晶TVはおろか機内放送や音楽を聴くヘッドセットはないし,テーブルもしょぼい。
こんな寸詰まりの機体で,果たしてアルプス越えできるんだろうか・・・。

・・・と思った当時の私は明らかに飛行機を知らなかった。
当時のBMIはB737のバリエーションをそれぞれ300,400,500と三種類持っていたようだ。
ヒースローでスタンバイする737を撮った下の画像で分かるように,私の乗ったのは最も新しいB737-500だった。
つまり,その7年半後に再会する全日空のスーパードルフィンと同機種だったのだ・・・。

ロートル健在,などといった生易しいものではない。
初期の機体設計思想が抜群だったからこそ,こうしてフルマイナーチェンジを繰り返しながら,新しい時代に対応しているということだろう。
飛行機で言えば,初飛行から60余年を経て使われたダグラスDC3とかC47といったベストセラー長寿機にその例を見ることが出来るし(わが国でも大戦中に何と零式輸送機として国産のエンジンを付けて使われた),乗用車で言えば,ついこの間までブラジルで生産されていたというVWビートルもそうである。
残念なことに,BMIではこのB737を今は使用していない,との情報もあるが,前述のように全日空ではスーパードルフィンとして健在だし,日航も使用している。

さらに無知蒙昧極まりないことに,私はスイスの空港に降りるんだからアルプス越えをすると思いこんでいた。
ロンドンから西へ向かうわけだから,当然ドイツから進入することになる。
つまりドイツ特有の「黒い森(シュヴァルツヴァルト)」が切れると,そこはスイスということになる。
アルプスは南ドイツからフランスとの国境を経て,スイスとイタリアの国境を,さらにはチロルを玄関としたオーストリアとイタリアとの境から旧ユーゴまで続くのであろうから,チューリッヒに西から進入する際は,黒い森上空から,ということになる。

高緯度だけに,夏の中欧は日が長い。
夜8時のランディングにもかかわらず,周囲はまだ明るい。
自然と近代性が見事に調和したチューリッヒ国際空港に無事名機を着陸させたBMIのパイロットの技術は抜群であった・・・。
2006/6/20

函館紀行4~旅情編

最後は「旅情編」でございます。
本来は,こうした内容こそ真っ先に書くべきなのでしょうが,ついつい寄り道をしてしまいました。

下手すると,一人で長距離移動をしたのは独身時代以来かもしれません。
何せ,新幹線に乗ったのでさえ約3年ぶりでしたから・・・。
日常生活で,一人になることというのは,意外に難しいものです。
せいぜい家族が寝静まった深夜とかそうちょうぐらいでしょうが,それにしたって一つ屋根の下に居るわけですから,純然たる一人とは言えないでしょう。

しかし,旅の空の下では孤独です。
・・・と書くと如何にも暗い感じですが,週末疲れで眠るも良し,好きな本を読み耽るも良し,旨い物を食し酒を飲むも良し(これなんかは,相手が居た方が良い場合もありますが),ガイドブックを開いて今から訪れる未知の地へ思いを馳せるのも良し・・・,と日常生活では絶対に味わえない貴重な時間を使うことが可能です。
心地よい孤独感と,未知なる地への期待が交錯する黄金の時間。
以前,私が年に何度かの一人旅を敢行したのはこのような理由がありました。
勿論,一人旅が最高,とか一人旅に限る,と断言するつもりはありません。
複数での旅も違った楽しみがあることはよく分かっているつもりです。

・・・ということで,函館市内及び近郊を歩いてきました。
勿論,主たる目的が結婚式への出席であったため,時間の制約はありましたが,五稜郭(13年ぶり)と元町界隈(同),そして大沼を見てきました。

今年できたばかりの新五稜郭タワー,圧巻でした。
旧タワーの倍の高さなので,星形の城址のほぼ全部を視界に捉えることができます。
天気は今ふたつだったものの,そのパノラマにすっかり圧倒されました。
函館戦争を始めとする精巧なディオラマの出来も秀逸で,ついついカメラを向けてしまいました(勿論,私だけでした・・・)。
入場料\840は決して安い金額ではありませんが,行く価値は十二分にあると言って差し支えないでしょう。
しかし,どこへ行っても「歳ちゃん」ばかりでした。
正月のNHKドラマの影響か,あちこちで歳ちゃんグッズや新選組グッズが売られていたのには,少々辟易でした。
元町界隈は,相変わらずといったところです。
面白かったのは,有名な旧函館区公会堂の下にあった写真歴史館です。
といっても,有料展示ではなく(見るべきだった・・・) ,併設の元町観光案内所隣のカメラコレクションでした。
新旧の我が愛機は勿論,私にとって懐かしい機器がいっぱいで,カメラを撮影という仕様もない行為に走りました・・・。

最後に大沼。
生憎の天気で駒ヶ岳も見えず,せっかくの風景も今ふたつ,といったところでしたが,さすがに本州とは異なる風景を味わうことができました。
函館は今回で3度目ですが,どうも相性が悪いのかいずれもからりと晴れたことがありません。
百万ドルの夜景はまたしてもお預けとなってしまい,次回に期待することに・・・。

ただ,以前昭和の時代に訪れた時は,北への,最果てへの旅の起点,ということで,情緒溢れる港町だったのですが,元町界隈が整備され駅前の再開発が進むと共に,垢抜けた瀟洒な町へと生まれ変わったような気がします。
ただ,そのぶん,以前から感じられた港町の情緒は後退したような気がしてならないのですが・・・。

本州への特急の車内は修学旅行の小中学生と韓国からの旅行客で満員でした。
しかし,函館本線の特急は自由席もがら空き。
おかげで贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
人口は我が町の約四分の一。
街の規模も丁度良く,食べ物は美味いし飲み屋もあちこちにあり,冬の寒さを我慢すれば生活するには良いところではないでしょうか・・・。
我が町からたった4時間半で行くことができるし,ぜひまた訪れたい街でした・・・。
(本当は,次に「歴史編」書こうと思ったのですが,長文必至なので自重します・・・)
 
 
右上から3番目:かつての愛機オリンパスペンF-ハーフサイズの一眼
右上から4番目:オリンパスペンS:これも持っていました。ハーフサイズのベストセラー
左上から2番目:ペリーも箱館を訪れました
左上から3番目:突撃する歳ちゃん最後の勇姿
左上から4番目:13年来の愛機NIKON F601
左上から5番目:NIKON-S
左下:大沼公園駅。昭和のただずまいを残す
 
2006/6/13

函館紀行2~「鉄」編

今回は,「鉄」でございます。
市民権を得られず,地下に潜行して久しい趣味でございますが,ヨーロッパでは鉄道模型を「趣味の王様」などと呼んでおりまして,お金持ちがメルクリン製の模型を手に取りながら,優雅な一時を過ごすものだったそうです・・・。
私が子どもの頃は,それこそクラスに数人「鉄」マニアや「戦争オタク・武器オタク」のような奴が居て,
「モハ583と581の違いは?」
とか,
「ケーニヒス・ティーゲル(キングタイガーとは敢えて呼ばない)のポルシェ砲塔とヘンシェル型砲塔の違いは??」
といったことを分熱く語っていました。
しかし今となっては,特に「鉄」は一部のコアでディープなマニアのものとなってしまった感がありまして,一層マニアックに傾いているように思うのは私だけでしょうか・・・。

今回の鉄根多は,至ってシンプルです。
何故なら,往復が「はやて」(E2系新幹線1000番代)+特急「スーパー白鳥」(789系電車) ,ちょっとばかり「スーパー北斗」(281,283系気動車)を囓った程度であり,函館市
内の路面電車がそれに加わるだけだからです。

JRはいずれも初めて乗った車両であり,東北新幹線盛岡-八戸間は,初乗り路線となりました。
ま,殆どがトンネルで,面白くなかったですが・・・。
にしても,仙台-八戸間が1時間半とは驚異の速さです。
一寝入りする間もなく着いてしまった感じでしたし,車内も週末なのにがら空きでした。

「スーパー白鳥」に乗った八戸-函館間(東北本線~津軽海峡線)は3度目でしたが,独立峰である函館山がくっきり見えたことが印象的でした。
789系の乗り心地も良く,往路は夜だったこともあって,3時間の間読書に勤しむことができました。
「スーパー北斗」はアコモデーションがシックで良かったですね。
足下の足載せが普通車でも標準で装備されていて,何か得した気分になりました。
乗ったのは,函館-大沼公園往復という短い区間でしたが,全く人が乗っていなくて,改めて北海道は札幌への一極集中であることを痛感しました。

最後に,市電
いろいろなラッピング車両があって楽しめましたが,やはり古い車両に当たると嬉しくなります。
かつて我が町で走っていた車両と,以前長崎で再会しましたが,確信は無いものの多分これがかつての仙台市電,というやつに再会しました・・・。
湯の川温泉に向かう途中に市電の車庫を発見。
今度こそ時間をとって見学・撮影に行きたいものです・・・。
 
 
下から二段目左が,かつての仙台市電と思われます・・・。
2006/6/3

W杯ドイツ大会を前に

前回の日韓共同開催から4年,日本が初出場したフランス大会からは8年もの月日が流れたかと思うと,感慨無量だ。
で,仏大会の際は,無泊9日のような神風観戦ツァーも有ったようだが,今回のドイツツァーは売れ行き低調だそうだ。
気の毒なことに,前売り券を抱えたまま倒産した旅行会社の話題もあったが,個人的にはドイツへ行ってみたいと思う。
前々回のフランスや前回の韓国に行ってみたいとはさほど思わなかったのだが,ドイツとなると話は別である。

これ以降は全く個人的な内容となるのだが(尤も,本エントリに限らず私の文章はすべて個人の嗜好以外の何者でもない),ああ,また仕様もないこと書いてる,と読んで鼻で笑っていただければ,実に光栄である。

食事も風景も住むのも我が国が一番,と常に言って憚らない私だが,不思議とドイツという国だけは(周辺のゲルマン圏であるスイスとオーストリアも含めてだが),妙な愛着を勝手に感じてきた国なのである。
もしかすると,WWIIでの同盟国であったからかもしれないが(イタリアには全く愛着が無いが),保守的でお堅い印象を受けることや(勿論必ずしも実態はそうではないのだが),自動車産業を筆頭とする工業大国であることや,バッハ~ベートーヴェン~シューマン~ブラームス~R・シュトラウスと続くドイツ音楽に対する個人的な思い入れも大きいだろう。
以前もことある毎に述べてきたが,こと音楽に関しては絶対的にラテンものよりもゲルマン系が好きだし(フランスものやイタリアオペラも良いが),同じヨーロッパ産のサッカーやF1もラテンや新大陸勢ではなく,ゲルマン系を応援してきた。

我が国とドイツの関係は以外に古い。
有名なのは,19世紀前半,長崎の出島に来たオランダ商館長付医師のシーボルト(1796-1866)だが,それ以前我が国に来たドイツ人としては,シーボルトと同職で出島に来たエンゲルベルト・ケンペル(ケンプファー1651-1716)がいる。
時の将軍綱吉に拝謁し,彼の死語発刊された著書「日本誌」は,近世ヨーロッパに於ける唯一の日本に関する資料ということで,モンテスキューやヴォルテール,ゲーテやカントも愛読したらしい。
また,第一次世界大戦中に青島で捕虜となったドイツ兵たちは,徳島の鳴門の収容所に居たが,ベートーヴェンの第九の日本初演の原動力となったことは,最近映画にもなった。

また,国土の面積も我が国とほぼ同じである。
但し,北部ドイツは高緯度であるため(欧州自体が高緯度だが)冬の冷え込みが厳しい戸のことだが,バイエルン州に代表される南ドイツも高地であるためやはり寒い-つまりドイツ全土が寒さが厳しいということだそうだ。

そして,自動車産業。
ジュッゼルドルフのポルシェ,ミュンヘンのBMW(Bavarian Master Works),シュトゥットガルトのメルセデス,リュッセルスハイムのオペル,ヴォルフスブルクのフォルクスワーゲン,そしてインゴルシュタットのアウディと百花繚乱の様相である。
一昨年,相方が車を替える際に,VWPoloを見に行ったが,質実剛健にして適度な高級感も醸し出す作りに納得であった(4WD無しがネックとなり,国産にしたが・・)。
個人的には3シリーズでよいから,一度はBMWのオーナーになってみたい,と思ってきた。
子どもの頃のスーパーカーブームの際は,私のお気に入りはポルシェ911や924,928,935ではなく,バイエルンの白い鷹と呼ばれたBMW3.0CSLだった。

実は,ドイツを訪れたのは二度しかない。
一度は初冬のフランクフルトに下り,アウトバーンを南下。
「学生王子(アルト・ハイデルベルグ)」で有名なハイデルベルグ市内を散策し,所謂ロマンティック街道沿いに点在する古城を見ながら「中世の宝石」と呼ばれるローテンブルグ泊。
翌日は,ロマンティック街道の終点とも言うべきバイエルン州ヒュッセンにある有名なノイシュヴァンシュタイン城(新白鳥城)を訪れてミュンヘンに泊。
ヒトラーのミュンヘン大演説が行われたというホフブロイハウス(かつて新宿に同名のビアホールがあった)なるビアホールで,どう見ても1リットル以上入る大ジョッキを2杯空けた。
二度目は,翌年夏,ヒュッセンに近いシュヴァンガウの町で昼食をとり,やはり新白鳥城へ,というルートだった(昨年8月17日の拙エントリ参照)。

いずれにしても南ドイツの一郭を見たに過ぎないが,中部ヨーロッパ独特の趣のある街並みが顕著で,各家の窓には四季の花が美しく飾られていた。
最初に訪れた時は,ロンドン~ミュンヘン~パリという慌ただしい三都紀行だったが,同じツァーの誰もがドイツ>ロンドン>パリという印象を持ったものだった。

・・・ということで,またしても愚にもつかぬ駄文を書いてしまったが,実はこちらを読んで,本エントリを思いついた次第である。
ドイツ鉄旅行なんて,考えただけでも素晴らしい。
最後に,過去に撮影したドイツお薦めの風景を。
 
 
左上:「中世の宝石」ローテンブルグのマルクト・プラッツ(中央広場) 。95.11.29AM8:04のクレジット
右上:同じく「中世の宝石」と呼ばれるデュンケルズビュールの街並み。後ろのオペルは愛車に非ず(当たり前) 
左下:ババリアの夏,ドイツの夏①
右下:同②。新白鳥城よりのアルプ湖。BGMはブラームスの交響曲第二番か・・・??
2006/5/14

交通博物館閉館

電気の町,今は電脳の街となった秋葉原-通称アキバは,JR総武線と京浜東北線・山手線が交差するという交通の要衝でもある。

その秋葉原にあった「交通博物館」が本日付で閉館となり,70年の歴史に終止符を打った。

私は今を去ること丁度30年前の子どもの頃,どうしても行きたくて自力で行ったのが唯一の来館となった。
見物であった巨大なHOゲージのレイアウトを列車が走るのは時間によって制限があり,結局見ることができず,日曜日だったせいか人だけが多く,膨大な展示資料の数々も今ひとつ展示に系統性が感じられず,期待していたほど楽しむことができなかった記憶があるが,当時全国にごまんと居たと思われる「鉄分の高い」少年たちにとって憧れの「聖地」でもあった。

展示資料の殆どは,さいたま市に新設される「鉄道博物館」に移設され,10月14日の鉄道記念日の開館を待つことになるが,入り口前に鎮座していたあの0系新幹線とC62のカットモデルはどうなるのだろうか・・・。

個人的には,「鉄道博物館」というと阿川弘之の「きかんしゃやえもん」を思い出す。
私も絵本を持っていたし,うちの子どもにも読んで聞かせた珠玉の一編である。
50~60年代にかけての,我が国の鉄道の事情が,子ども向きの平易な文体の中に実によく盛り込まれていると思う・・・(粗筋はこちら)。
今や市民権を失い,地下活動を余儀なくされている「鉄分の高い」人たちにとっては必読の書であろう・・・。
そして,やえもんこと1号機関車が,さいたま市で再び我々の前に勇姿を見せてくれることを心から願いたい・・・。
2006/4/26

時刻表あれこれ

数年ぶりに時刻表を買った。
数年ぶり,というところがミソである。
かつて,時刻表は私にとって,音楽・模型・車雑誌と共に愛読書であったのだが,ここ数年は本格的な鉄道による旅行ができなかったということだ。
一昨年の正月明けは九州に,その前の夏は日光に,その前年は横浜一泊,その前は都内に泊まって富士急ハイランドへ,といった具合に今考えてみると結構出かけてはいたのだが,行きと帰りの新幹線の時刻が決まっているというものだったので(首都圏新幹線往復+一流ホテルで\20,000弱という破格の内容だったが),足の向くまま気の向くままに列車を乗り継いで,という訳にはいかなかった。
家族連れの泣き所である。

ところが6月に偶然函館行きが決まった。
知人の結婚式である。
こんなおいしい話はない。
式は日曜日だが,せっかくなので金曜に仕事を少しばかり早く切り上げ,金曜の20時に函館に到着して,土曜と日曜の前半,何と13年ぶりの北海道を歩いてみようと思う。
函館近隣だと,市内は勿論,大沼や江差,恵山,それにトラピスチヌ修道院,竜飛・吉岡海底駅・・・等々の観光物件がある。
一世に花が開く6月の北海道なんて滅多に行くことができるものではないし,個人的には学生時代以来だ。
したがって,一人でほっつき歩くことの時間は極めて貴重になる。
そこで,時刻表である。
それも,でかくて(B5サイズ)厚い(3cmはある)○TBのやつでないと駄目である。
同じサイズの○Rのやつも一度買ったが,どうも馴染めない。
内容が極めて薄い小型版やポケットサイズのやつは論外である。
多少重くてかさばっても,○TBのやつを持ち歩かないと落ち着かないし,何よりも不便である。

函館・大沼フリー切符-フリー区間乗り放題・往復〔はやて〕+〔スーパー白鳥〕指定席で\24,800は,決して悪い話ではない。
函館まで僅か4時間半。
読書にいそしむにも,一寝入りするにも(車窓風景はあまり期待できないが)極めて貴重な一人の時間が堪能できそうだ。
さぁ,何を読もう・・・。

かつては,時刻表とガイドブック,そして1:25,000の地形図さえ有れば,いくらでも机上旅行を楽しむことができた。
ネットの時刻表や乗り換え案内は確かに便利だが,リンクや検索ボタンのクリックには,時刻表のページを繰る際に覚えたときめきは存在し得ない・・・。
今夜はネットを早めに切り上げて,久方ぶりの机上旅行を楽しむとしよう。
北への旅立ちに相応しく,グリーグかシベリウスでも聴きながら・・・。
2006/3/31

路面電車の走る町

ちょうど30年前の今日,昭和51(1976)年3月31日,我が町に残っていた市電-即ち路面電車が姿を消した。
大正時代から長いこと市民の足として親しまれてきたが,60年代以降はモータリゼーションの波に飲み込まれるような形で,その役目を終えた。
そして,その 11年後には地下鉄が開通することになる。

我が町の市電廃止の翌年,京都市電も全面廃止となり,現在路面電車の走る都市は,札幌,函館,東京(都電荒川線と東急世田谷線),高岡,新湊,富山,豊橋,岐阜,関,堺,岡山,広島,高知,南国,松山,長崎,熊本,鹿児島となっている(どっか漏れたかも・・・)。
尤も,岐阜は専用車両ではなく(名鉄),通常の軌道を走る車両がたまたま路面を走っているに過ぎないが,路面電車であることには変わりない。

面白いというか興味深いのは長崎だ。
斜面に家が張り付くように建つ所謂「坂の町」だが,路面電車が完全に市民の足として定着している。
さらに驚くべきことに,「市電」ではなく,長崎電気軌道とかいう民間の運営なのである。
そして,確かどこまで乗っても\100だった筈だ。
1日乗車券を\500で買ったが,元を取れなかった記憶がある。
そして,我が町で走っていた車両を見かけたときは,本当に嬉しくなった。

海外だと,ウィーン,インスブルック,プラハ,カールスルーエといった中欧の都市が今尚路面電車が市民の足として活躍している。
ストリートカーとかシュトラッセバーン,トラムといった名で呼ばれ,近年は環境に優しい乗り物として俄に脚光を浴びている。
確かに,市域が広い巨大都市には向かないかもしれないが,人と交通の共存,自然との共存を考えると,我が町なんかは実に惜しいことをしたような気がしてならない。

それで年に一度思い出したようにここへ行く。
往事を知る女性が詳しく教えてくれるので,私なぞ実に楽しい。
屋内での静態保存は全国的に見ても先魁的存在だったそうだ(横浜,大阪,名古屋もできたらしい)。
30年の時空を超越して,古き良き時代への郷愁に浸ることのできる希有な空間と言うべきだろう・・・。
2006/2/20

鳥取,遙か哉・・・

9年ぶりに飲んだ胃カメラの話題じゃ誰も読んでくださらないだろうし,滋賀の園児刺殺事件に対して中国のメディアが「日本人は集団のいじめが好き」と論じたことに私が激怒したことを書こうかとも思ったが,イデオロギー論争を誘発して不愉快な思いをかけるのも忍びない。
よって,何故か二日続いての鳥取根多でいきたい。

実はこの季節,鳥取が密かにマイブーム(謎)である。
鳥取は私にとって完全に未知の世界であり,実は憧れの地でもある。
かすっただけで,下り立っていない数少ない県でもある。
同様な県に大分があるが,こちらは13年前の春,昼間に通過したので,ある程度の風景は見ているし,中津と別府では乗り換えのためホームには下り立っている(臼杵の磨崖仏を見ていないのが残念だが)。
ところが鳥取は,同年の夏に訪れたにも関わらず,早暁に寝台特急「出雲」3号の車中に居た為に何一つ垣間見てもいないのである(県境の兵庫県浜坂町に泊まったことは有るがニアミスに終わった)。
つまり,私は鳥取を全く知らない。

全県で人口60万。
合併前の我が市よりも少ない。
誤解を受けそうだが,決して莫迦にしているのではない。
人が少ない,ということに魅力を感じているのだ。
そして,夏の甲子園予選への出場校が一番少ない。
そうした中で,倉吉北高とかが勝つと嬉しくなる。
遥か沖合に隠岐が浮かんでいるのも洒落じゃなくて魅力的だ。
後鳥羽院や後醍醐帝等の悲史が息づいているし,複数の島嶼から成り立っているのもロマンをかきたてる。
また鳥取は,「因幡の白兎」に代表されるように神話伝承の地である。
隠岐の配所から脱した後醍醐帝が依ったのは,大山から続く船上山に本拠を置く名和長年だった。
鎌倉期に山陰地方は幕府御家人の佐々木氏が守護職として勢力を張ったため,多くの佐々木氏族が分家した。
この名和氏や塩冶氏,16世紀に勃興した尼子氏はいずれも源平争乱に手柄を立てた近江の佐々木一族の流れを汲む。
中世は山名氏や吉川氏の支配を受け,戦国末期に鳥取城は秀吉に攻め落とされた。
その後は,比叡山の僧だった宮部継潤と養子の長熙が豊臣期に20万石を領有。
長熙が関ヶ原に於いて西軍内応を疑われて改易となってからは,池田氏の支配となる。

鳥取の魅力は以上のような歴史ロマンに留まらない。
何と言っても,昨日述べたように冬の味覚の代表である蟹の水揚げが全国一である。
それに,県庁所在地に温泉が湧くというのも実に魅力的だ。
温泉につかった後蟹料理で一杯,なんて考えると最高だ。
そんでもって,境港の水木しげる妖怪ロード
何でも新しい像(麒麟と猩々だそうだ-こちら参照)が完成し,抽選で4人に台座に名を刻む権利が与えられるという。
ぜひ応募したいところだが,専用葉書は県内の観光施設でしか配らないとのこと。
残念極まりない・・・。
あと,何でも水木画伯デザインの「妖怪フェリー」も有るらしい。
妖怪で町おこし,なんて気が利いていると思うのは私だけか。

・・・ということで,どこにも行くことのできない私は,こちらなんぞを見て誤魔化すのである・・・。
2006/2/16

神戸空港

神戸空港が本日開港した。
場所は,市内の中心街とも言うべき三宮の南方約8kmの海上の埋め立て地に位置し,丁度ポートアイランドの沖合に浮かぶ形になる。
海上空港としては,関空・中部国際空港に次いで三番目となる。

同じ県内に2つ以上旅客専用の空港がある県としては,多分愛知に次いで二番目だろうが,果たして本当に必要性に駆られての開港なのかどうか,私にはわからない。
何せ,直線距離にして十数キロのところに大阪国際空港(とは誰も言わず,「伊丹」と呼ぶのだろうが)があるし,大阪南方には関空もある。
これらの三つが果たして共存し得るのか甚だ疑問である。

この中で,最もアクセスに優れるのが伊丹だろう。
京都・大阪市内には最も近く,シャトルバスも運行していて,私も京都駅の南口まで乗った。
さらに,JRと阪急の連絡も抜群である。
ただ,私が降りる際に感じたことだが,グライドパスに乗ってから市街地の上空を飛ぶので,騒音の問題と気流が不安定になることが考えられる。
そして,何よりも手狭ということだろう・・・。
関空は,アクセス的には問題にならない。
南海とJRが乗り入れしているが,「ラピード」にしても「はるか」にしても特急料金がかかるし,やはり梅田へ直行の阪急には敵わないと思う。
そして神戸。
神空とでも言われるのだろうか・・・。
神戸市民にとっては三宮からあっという間に着くこちらが圧倒的に便利だし,加古川・姫路などの播磨地方からもアクセスは良くなろう。
ただ,伊丹と共倒れにならないと良いのだが・・・。

本日の開港,第一便はJALの777だったそうだ。
こちらの画像で確認できるが,何と大きな機体だろう。
手前に停まっている同じくJALの737-500と比べると,一目瞭然である。
737,747,757(超レア),767と乗ってきたが,一度乗ってみたくなった。
2006/1/29

東横イン

極希にある県外出張の時,GW等混雑持の家族旅行の時,ビジネスホテルを重宝している。何と言っても安いのが一番だし,JR等公共交通機関に近いホテルが殆どなので使い買っても良い。
そして,以前紹介したこちらなど,ここ数年でできた建物が多く,室内が明るく清潔感がある。
オンライン予約で朝食が無料というのも実に魅力的だし,全国チェーン展開をしているので,何かと便利である。

同じ全国チェーンで,廉価な室料ということで,私も何度か利用したことがある東横イングループ(現在アクセスが集中しているのか繋がりにくい)のホテルが違法改造をしたということで,現在取り調べが進んでいる。
駐車場や障害者のための施設の設置が義務づけられているところを,新築~オープン時だけ設置し,後は客室に改造した,というものだ。

私が最初に泊まったのは,こちらだった。
浅草千束などというと,ついつい「ウヒヒ」となりそうだが何のことはない,10年前の夏,最後の(と言っても3回しか行ったことがないが)海外旅行の帰り,関空に降りて羽田に着いたのが午後9時を廻っていて,最終の新幹線に間に合わなかったため,後泊を余儀なくされたからだ。
ダブルだったかツインだったか忘れたが,室料が\6,000代だった記憶があり,朝刊とコーヒーが付いた筈だ。
尤も,前日の晩は機内泊だったので,ビールを一缶飲んで早々に寝てしまったら,何と朝10時過ぎまで寝てしまい,フロントからの電話で慌てて飛び起きた結果,どちらの恩恵にもあずからなかったが・・・(フロントにいたのは学生風のアルバイトとおぼしきにいちゃんで,チェックアウトタイムを過ぎていたが超過料金は取られなかった)。

今回,違法改造によってケチをつけてしまったが,安い料金は何よりも魅力的なので,今後は一刻も早く信頼の回復に努め,さらに良いサービスを心がけて欲しいものだ。
でもって,余計なことだが,似て非なるものであるこちらが混同されて迷惑を蒙っているらしい。
業界じゃ老舗であるが,気の毒な話ではある・・・。
2006/1/22

いつの間にかこんなことに・・・

京都,と一口に言っても見る場所はたくさんありますよね。
天竜寺や化野念仏寺,妓王寺や滝口寺,渡月橋や広沢池に代表される嵯峨・嵐山。
金閣(鹿苑寺)や石庭の竜安寺の北山。
平等院や桃山城,明治天皇陵のある伏見・宇治。
西芳寺(苔寺)に代表される西山・桂。
そして,洛中洛外見所はいろいろあれど,新京極や寺町通りといった繁華街から,瓦町通を経て,銀閣(慈照寺),南禅寺,知恩院,八坂の塔,清水寺といった東山界隈へ抜ける街がお気に入りであることを,一昨年10月23日の拙エントリにも書いた記憶がありますが,京都で最も京都らしい街,というか,我々が京都という街に対して抱く最大公約数的なイメージを具現化してくれる場所として,木屋町が挙げられると思います。

まずは,こちらとかこちらの画像をご覧ください(街外れですがこれも・・・)。
鴎外の「高瀬舟」で有名な高瀬川に沿って春は桜が満開となるし,風情ある柳並木や瀟洒な家並みが続くので,いかにも所謂京都らしさを感じさせてくれる街ではないでしょうか。
ですから,この木屋町から先斗町にかけては,ぜひ一度飲み歩いてみたい場所と思ってきました。

ところが,昨今由々しき事態が出来していることを,こちらの記事にて知りました。
風俗店実に1000店とは驚きました。
10数年前,都市部のドーナツ現象(正しくは空洞現象?)によって地元の小学校が廃校となったことで,風俗店の進出が相次いだ,ということです。
美観が損なわれるどころの騒ぎではありません。

ただ,夜の街が大好きな私としては,歓楽街や風俗店を不要なもの,と短絡的に断定するつもりはありません。
そうした仕事を生業にしておられる方もおられるでしょうし,京都の色街というのは島原に代表されるように300年以上の歴史を保ってきましたし,京都で飲み歩くというのも風流な気がしますので・・・。
原因を考えると,木屋町から先斗町にかけての町並みを風致地区・美観地区として守ることができなかったのか,ということが,まず挙げられると思います。
妻籠や馬籠・奈良井に代表される木曽の旧宿場町や倉敷の川沿いの道のような扱いをしなかったからこそ,風俗店の跳梁を招いたような気がしてなりません。

記事を読むと,住民の努力の甲斐あって,少しずつ情緒ある街並みが戻りつつあるように感じます。
京都はもう10年以上ご無沙汰していますが,次に訪れるときには真っ先に河原町から木屋町~先斗町を経て,東山山麓まで歩いてみたいと思っていますが・・・。
 
 
(昨日まで見た新作返しにレンタル店に逝ってしまいました。「亡国のイージス」も「戦国自衛隊」も借りることができず,結局韓流ドラマの続きを借りてしまいました。「ハウル」と「四月の雪」は今回見送ることに・・・)
2006/1/13

誤解やで・・・

我が国には明らかに東西がある。
厳密に言えば,北東と南西がある,と言うべきかもしれない。
気候は勿論のこと,地勢・風土・言葉・食生活等々…皆違う。
だから,私のような東日本-東北の人間にとって,東京は馴染みのある都市であるが,大阪となると,ずっと縁遠くなる・・・。
だいたい関西弁を聞くと,漫才を聞いているような錯覚を覚えるくらいであるから,とんでもない誤解であること甚だしい。

大阪という街に対して,先ず感じるイメージとは何だろう。
関西弁,大阪城,通天閣,食い倒れ,たこ焼き,道頓堀,淀川,阪神タイガース(甲子園は大阪ではなく兵庫だが),ガンバ大阪・・・。
全国を歩いてきたつもりの私だが,実はお恥ずかしいことに,大阪を訪れたのは二回しかない。
大阪城,住吉大社,東大阪市立博物館,観心寺,仁徳天皇陵(今は大仙古墳と言わないとまずいらしい)等を見たことと,時間つぶしに環状線を一周し,梅田から阪急で京都に向かった記憶がある。
環状線の野田~西九条間では淀川と安治川が左右に見えて,「水の都」という印象を強く持った。
当時は東京ほど高層ビルが多くなく,小さいビルがびっしりと林立している,という感じだった。
尤も,行ったのが8月ということもあって,殺人的な猛暑に,何度かトイレで着ていたシャツを絞った。

ところが,こちらの記事を見ると,海外の観光サイトやガイドブックではかなりひどい書かれ方をしているらしい。
「醜い街」とか「ヤクザの中心地」とか,とにかくひどい・・・。
イメージとは恐ろしいもので,完全にそれが脳裏に刷り込まれ,見たこともない土地に対して妙な先入観を持つことになりかねない。

以前,「住んでみたい日本の地域」とかいうアンケートがあり,1位が京都,2位が静岡だった。
京都は日本的な文化が色濃く残っている地域だけに何となく分かるが,静岡はきっと温暖で蜜柑とお茶,という良いイメージがあったのだと思われる。
良いイメージを持つのはまあ良いと思うのだが,一面的なものの見方だけで,悪いイメージのみが先行するのは,どう考えてもうまくないと思う。

近年の大阪は,梅田空中庭園に代表されるように,近代的で垢抜けた街へ生まれ変わろうとしているようだ。
昔,大阪フィルの出す音は,淀川の水のように汚く濁っている,などと言われたらしいが,大フィルの音も淀川の流れも年月を経て美しくなってきたと思う(尤も,道頓堀は相変わらず汚れていて,飛び込む阪神ファンの健康が懸念されているらしい)。

さて,私の住む街は,県外の方,特に関東以西の方々には,どんなイメージを持たれていることだろう・・・。
何となく気にはなる・・・。
2005/12/30

経県値・経県値マップ・・・

○○仲間のWT宮城氏のところで,「経県値」と「経県マップ」なるものを話題にしておられました。
こちらをクリックしていただくと一目瞭然なのですが,

通過する-1点
降り立つ-2点
歩く-3点
泊まる-4点
住む-5点

となります。
地図上で各都道府県をクリックするごとに色が変わり,点数が加算される仕組みになっています。

因みにの場合,

通過する-鳥取,徳島
降り立つ-大分
歩く-千葉,富山,石川,三重,香川,島根,佐賀,熊本
住む-山形,宮城,東京
泊まる-上記以外全部

となり,175点でした。
ご覧になった方々は,ぜひやってみてください。
2005/12/7

日本の翼

戦後唯一の国産旅客機YS11が来年遂に引退となった。
国内線の主流がプロペラ機であった1962(昭和37)年に就航。
翌々年開通した東海道新幹線とともに,戦後復興・平和日本の象徴だった。

純粋な旅客機として,国内に現存するのは僅か4機。
JAL-JAS(ついついTDA-東亜国内航空-と呼びたくなるのは私だけ??)系列のJAC(日本エアコミューター)が鹿児島空港を起点に運用しているらしい。
時刻表が手元に無いので確認できないが,種子島便と福岡便だろう。

以前のエントリで述べたが,実は数年前,屋久島便のYSに乗る機会を得た。
離陸の際,あの独特のエンジン音ががんがん響き,地上を離れた途端機体全体がフラッターのように揺れた。
帰途,台風の中鹿児島空港に着陸の際,恐ろしい思いをしたのは既述の通りである。
如何にも本物の,手作りの飛行機に乗っている,という実感があり,乗り継いだDC9は何と安全かつスムーズであったことか。
YSと比べて飛んでいる,という感覚が全くなく,フライトシミュレーターをやっているような感じで恐い思いの後とはいえ物足りない感じだった。

これで,また一つの時代が終わる。
戦後初の,そして下手すると唯一の国産旅客機となってしまうYS11に惜別の念を禁じ得ないが,「ありがとう」と「ご苦労さま」で労いたいと思う・・・。
2005/8/30

行く夏に・・・

台風が近づいているからかどうかわからないが,午後は日がかげり,めっきり涼しくなった。
8月も下旬になると,日中は30℃まで気温が上がっても,朝夕は涼しくなる。
窓を開け放ったまま寝ると,明け方に寒くて目を覚ますことに・・・。

どうやら,訪れが遅く駆け足で去っていく北国の夏はそろそろ終わりを告げるようだ。
短いからこそ,そしてあっという間に通り過ぎるように去っていくからこそ,東北の夏は皆が渇迎し楽しむのかもしれない。

今から15年前,煌めくように通り過ぎた夏の終わりに,北の山間で出会った,見た,そして感じたことが忘れられず,今年も足を運んでしまった・・・。
ちょうど一週間前の画像だが,北国の一瞬の夏の煌めきを感じ取っていただけるだろうか・・・。(昨日の反動で,中身がありません・・・。画像から伝わるものが無い場合は,私の腕と機材の限界と思ってください・・・・・)
2005/7/2

夏は暑いか・・・

日中は暑いが風のよく通るしのぎやすい日。
ただ,夕刻雲が厚くなり,にわか雨も降った。
西日本では,水不足転じて大雨となったようで,富山や香川で犠牲者が出るなど,改めて大自然の猛威を認識せざるを得ない。
明日も全国的に30℃近い夏日となりそうだが,何と我が町のみ曇りで,最高気温22℃と,全国的に見てもかなり気温が低いようだ。
ずっと高緯度の札幌市ですら27℃なのだから,やませの影響ではあるまいに,いくらなんでも涼しすぎる気もする。
まあ,しのぎやすいならありがたいが・・・。
 
平成3年,5年の夏,北海道に行ったことがある。
平成4年をはさんでこの3年間は気候が安定せず,夏の日照時間が足りず,その結果平成5年の近来希に見る「平成米騒動」が勃発するのだが,とにかくどちらの年も,千歳空港に降り立った時,或いは札幌駅に降り立ったときは
「仙台よりはるかに暑いじゃねえか」
が第一印象だった。
千歳では,関西からいらした社員旅行とおぼしき一団が,ぶーぶー言っていた。
「なんや,せっかく北海道まで来たいうに,えろう暑いやないか」
なんて,会話も聞こえてきた。
 
多分札幌・小樽・函館等道央~道南にかけてお住まいの方ならご存じであろうが,夏の札幌や小樽は暑いのである。
何せ,西の日本海には暖流たる対馬海流が流れていて,ひと頃縁起ものの切符ということで有名になった銭函駅付近の銭函海岸では海水浴もできる。
だから,夏の北海道の印象というのは,からりと晴れ上がった空,に尽きる。
何日か前のエントリに登場させた札幌の旭山記念公園や小樽の天狗山など,湿気の少ない澄んだ空気の下,存分に北国の短い夏の太陽を浴びた記憶がある。
 
しかし,日本は広い。
札幌を出て函館本線を旭川まで北上すると(結構単調で長かった),その先は宗谷本線となるのだが,景色は一転する。
旭川盆地を過ぎ,天塩川の段丘を見ながらサロベツ原野を目指す頃,周囲に水田は全く見られなくなるのだ。
「日本なんてどこに行っても田圃ばかりでつまらない」
という声をよく聞いたものだが,そんなものは全く当てはまらない。
稲作の北限を過ぎたということなのだろうが,改めて稲は元来熱帯性の植物で,明治以来の品種改良によってあちこちで作られるようになったことを再認識させられる。
 
そして,天気が良ければ前方に秀麗な利尻富士が見え始めるとサロベツ原野のまっただ中となる。
豊富温泉でも稚内でも利礼諸島のいずこかでも良いが,一度は夏の夜の徘徊をお薦めする。半袖では涼しすぎるのだ。
薄手の長袖Tシャツを引っかけたが肌寒いくらいだった。
薄手のブルゾンかトレーナーの必要性を感じた。
 
 
・・・と書いているうちに,例によって北海道に行きたくなった。
10年前なら迷わず行っただろうが,今はそうもいかず切歯扼腕することになる。
旅行会社のパンフは一応貰ってきたのでぼうっと眺めているが,札幌・小樽二泊三日,往復航空券+ホテル二泊朝食付き\32,800はおいしすぎやしないだろうか・・・。
2005/6/29

夏の旅行・・・

夏休み,と言えば旅行である(本当か?)。
今年こそ,日帰りで良いから海に行きたいし,昨年行けなかった泊を伴う旅行にも行ってみたい。
昨年当ブログ開設以前から何かとお世話になっているのはらさんは,早々と旅程を決められたそうで,羨ましい限りである。
私の方は,大仕事が控えている上,優柔不断な性格も相まって今ひとつ進められないでいる。
ただ,これは独身時代からの拘り,というか決めていることなのだが,必ずお盆は外して8月20日過ぎから出かけることにしている。
ここ10数年で唯一の例外は,9年前にヨーロッパに行ったことだが,これは盆明けに相方がどうしても出勤しなくてはならなかったので,泣く泣くお盆期間に設定せざるを得なかった(それでも勿論格安を探したが)。
 
8月も下旬を迎えると,夏の終わりの少々物寂しげな雰囲気が海にも山にも漂い始める。お盆を過ぎると人出のピークも過ぎ,交通機関も観光地も夏から秋への移行期となり,前の週とは比較にならない程人が減る。
人混みを見ないと落ち着かない,という特異体質の人は別として,夏の余韻を味わうことの出来るこんなおいしい時期を逃す手はない。
 
今思い出すと,暇に任せてあちこちを彷徨ったものだ。
平成2年には隣県へ北上し,花巻~遠野と宮沢賢治や柳田國男の足跡を辿った。
翌平成3年は夏の信州に行きたくなり,大宮から在りし日の特急「あさま」をつかまえた。さらに翌平成4年は,佐渡に渡り,原チャリを借りて島を一周してきた。
翌5年は,当時の職場から退勤直後に車で20分の相馬駅のみどりの窓口へ走り,寝台特急「出雲」の当日寝台指定を取り,松江~出雲大社~萩~益田~津和野~山口という大規模な山陰行を決行し,帰りは岡山の塩飽諸島に渡った。
平成6年は四国。
栗林公園~屋島~満濃池~金比羅宮~大歩危小歩危~高知~宇和島~松山と来て,予讃線の長さに飽きて今治で下車し,船で三原へ渡った。
平成7年は戦後50年ということで,初めて広島を訪れた。

・・・ということで,今夏の予定をどうするか書こうと思ったのだが,何か過去の旅行先を列記して終わってしまった・・・(汗)。
今夏の予定はいずれ書こうと思うが,8/22~23にどこかに行けたら良いな,と思っている・・。
かつては時刻表を,今はネットを駆使して迷いに迷いたい。
迷っているうちが楽しいのだから・・・。
2005/4/5

今年のGW

今年のGWは,5/2と5/6の二日に休みを入れると何と10連休となるそうで,海外旅行者は史上最高の数に上る,と言われているらしい。
残念ながら私は,5/2は休みになるものの5/6は仕事なので10連休とは行かないが,7連休はとれそうなので文句は言えない。

で,せっかくだからでかけようとは思うのだが,何せ私の嫌いな人ごみや交通渋滞があちこちで起こっているので,ついつい二の足を踏んでしまう。
だいたい旅行に行っても特別料金だから篦棒に高いし(特に宿をとるといつもの倍額だったりする・・・),混むから人の行くところは避けたい。

でも考えてみたら,96,98,00~04と,何とここ10年に7回も一泊の小旅行に出かけている。
それもすべて4月に,つまり直前に宿をとっているのだ。
しかも,通常の料金で。

そんなことあるはずない,と思われるかもしれないが事実である。
直前予約可能な宿,しかも低廉な料金,そんな嘘みたいな宿があるのだ・・・。
別にからくりが有るわけではない。
根多を明かせば,ビジネスホテルを予約しただけなのだ。
な~んだ,と思われるかもしれないが,今日日のビジネスホテルは決して莫迦に出来ない。

まず,新しい建物を選ぶと,リゾートホテルのような高級感は勿論無いが,小綺麗で清潔である。
禁煙ルームを設けているところも多いので,家族での利用も出来る。
そして何より安い。
部屋単位の料金なので,ツインルームを頼むと高くても\12,000が上限で,私が3年連続で利用しているこのグループなんかオンライン予約すると朝食が無料でサービスとなる(そんでもって結構美味しかったりする)。

ということで,今から予約を入れれば多分とれるであろう。
只,今年は家族が増えたので,ツイン一部屋というわけにはいかないので,ファミリールームのあるところが条件となる。

因みに3年前は,オープンしたばかりの白河のホテルに泊まった。
那須高原まで足を伸ばしたのが失敗で,渋滞と人混みに遭ってしまったが,市内の名所旧跡は観光客もまばらで,のんびりと観光することが出来たし,名物の白河ラーメンと美味しい御菓子を味わうこともできた・・・。

さて,今年はどう過ごそう・・・。

2005/4/1

現代テーマパーク事情

TDL+TDSそしてUSJ の昨年の入場者数が前年を下回ったらしい。
TDLには二度程行ったが,01年に開演したTDSには未だに行く機会を得ず,USJに至っては,もう10年近く関西とはご無沙汰している。

下回ったと言っても,昨年1年間で約2,500万人が入場しているわけであるから,単純計算すると日本人のうち5人に1人の割合で,TDL+TDSに行ったことになる。
成る程,私の職場にも年に三回は行く同僚が居たくらいだから,極めて大きな数字である。

つまり私にとっては,各アトラクションの楽しみはともかく,あの人ごみがとにかく厭なのだ。
生来短気なせいか,行列とか渋滞とか待ち時間とかが大嫌いなので,ついつい行かずじまいだし,北日本の人間にとって夏の殺人的とも言える南関東や関西の暑さに,どうしても敬遠してしまう。

昨年の正月明け,家族で九州に行った。
目的は,長崎のハウステンボス(以下HTB)。
往復の飛行機は満席,博多-HTB間のJR長崎本線・佐世保線もほぼ満席。
敢えて正月を外して,休みをとった甲斐はなかったか,と思ったが・・・。
飛行機に乗っていたのはビジネス客ばかりで,帰途など家族連れは私等だけだったし,JRが混んだのは,行きは久留米・大牟田まで,帰りは武雄温泉帰りの人たちと福岡南部からだった・・・。

とにかくHTBは人が居ない!!!
下手すると,同じ時期のTDLの100分の1以下だろう。
勿論,ライド系のアトラクション中心のTDLと,欧州の街並みをそっくりに再現し,その風物を味わい歴史に思いを馳せるHTBではテーマパークとしての性格が異なるし,大消費地からのアクセスや立地条件云々も違うので単純比較は乱暴極まりないのだが,にしてもあまりにも人が居なかった・・・。

とにもかくにも私のような人間にとってHTBは極楽のようなところだった。
街を歩けば,見たことのないオランダの雰囲気に浸ることが出来る(私の極少ない海外体験から推し量るに,中部ドイツの街並みに似ていた)。
東シナ海を西に控えた風光は極めて明るく(以前長崎へ行ったときも同感だった),復元され繋留された旧幕府海軍軍艦観光丸勝海舟や坂本竜馬も乗った)を見るまでもなく,過去に思いを馳せることができる・・・。
おまけに,冬なのに上着が要らないくらい暖かい。
海からの風も心なしか柔らかい

しかし,以前一度倒産し,会社更生法の適用下での経営もかなり厳しい状況にあるのは,入場者の少なさが証明している。
再生に向けて野村プリンシパル・ファイナンスとやらが動き始めているようだが,かなりの困難に見舞われていることは想像に難くない。
自然環境と一体化したテーマパークというのは決して多くないので,その灯が消えぬことをただただ願いたい。

少し前のデータだが,わが国のテーマパークの現状を知る意味で,関西地区のテーマパークの盛衰について書かれたサイトを見つけた。
USJの出現もあって,関西のテーマパークを取り巻く環境は極めて厳しいようだ・・・。

千葉や群馬・広島に「ドイツ村」があるらしいし,岩手の「とうほくニュージーランド村」は小規模だが小綺麗だった。
秋田の「田沢湖スイス村」はどうなったのだろうか・・・(遂に休園との噂も・・)。
そして,香川の「レオマワールド」・・・。
志摩スペイン村(パルケ・エスパーニャ)」は今回の愛知万博の恩恵はあったのだろうか・・・。

2005/3/28

桜便り

午後から強い雨。
気温が上がらず,昨日より肌寒い一日となった。

各地で花の便りが聞かれるようになるのであと少しだが,北日本の春はまだ遠い。
ようやく近所の梅は咲いたが,この調子では桜は4月中旬以降にずれ込む可能性が出てきた。

全国各地のの名所案内のサイトを見つけた。
ざっと見ると,城跡や寺社が多いことに改めて気がつく。
古城と桜(欧州だったら古城とワインか?),古寺や古社と桜,というのは,日本人が古来培ってきた美意識に訴えるものがあるのだろう。
昨年4月中旬,仕事で福島県会津若松市を訪れる機会があったが,周囲の山々の中腹の至る所が薄紅色に萌えていて,見事だった。
勿論,戊辰戦争の悲史を今に伝える若松城(黒川城・鶴ヶ城)跡 の桜も満開で,文字通り「古城と桜」を満喫することができた。

サイトの画像を見ると,個人的には,全山が薄紅色の吉野山は見事だと思う。
京都の醍醐寺嵐山もこちらの旅情をかきたててくれる・・・。
仕方ない。
以前は時刻表と地図・ガイドブックで机上旅行をあれこれ楽しんだように,ネットでの疑似体験で我慢するか・・・。